ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々
ミャンマーと共に生きる人々に寄り添い歩む日々
皆さんこんにちは。
プロデューサーの新町です。
今回はミャンマーについて今想う事などをつらつらと思いつくまま書いていこうと思います。
恐らくまとまりのない文章になっていくと思いますが、正直に思う事をそのままに書いていこうと思いますのでどうかお付き合いください。
本題に入る前に一つお知らせです。
先月2年越しのプロジェクトになるオリジナルブレンドハーブティーの製作発表を行いました。
皆さんに商品をお見せできるのはもう少し先になりますが、先ずはプレスリリースをご覧になって待っていただけたらと思います。
ミャンマーに住むようになってから8年が経ちました。
当時36歳だった私はもう44歳になり、ミャンマーに来た時には想像できない事ではありましたが、結婚して娘を授かりました。
当初は「1年くらいしたらミャンマーと日本を行き来するような生活スタイルになっていたい」などと考えていたものですが、世の中そんなに都合良くいく事はなく本当に苦労の連続でした。
失敗の連続で、それでもなお色んな事に挑戦して。
何とか夢が形になりそうなところまでがボンヤリと見えてきたところでコロナ禍が始まり、ようやくそれが明けそうな兆しが出てきたところでクーデターが始まりました。
そのクーデターは不発に終わりつつも燻り続けている状態です。
これまでの歴史もあり、軍はもっと早くカタが付くと思っていたのだと思います。
実際は過去1988年の時は2週間程、2007年の時も民主化への国民の運動は1カ月経たない内に弾圧されて終わってしまったそうです。
それが今回は一年半を経ても未だに続いています。
民主化というのはあくまで手段であり、国民の多くはシンプルにこの国を良くしようと考えているだけです。
決して盲目的にとにかく民主化をというような単純な考えではありません。
一人一人がそれぞれ立場の違う中で最良の方法を考えて動いています。
正式に登録されているだけで135の民族が暮らすミャンマーという国の凄みがここにはあると感じています。
ロヒンギャをはじめとするまだ未登録の民族もまたミャンマーと共に生きる人々として存在すると思います。
人生の2割近くをこの、ミャンマーという国と共に暮らしてきました。
たかが8年です。
もっと長くミャンマーと関わっている先輩方が沢山います。
されど8年。
気付けば随分と深く関わってきたのだなと感じています。
よくいつまでミャンマーと関わっていくのか?という質問をされます。
その質問に対する明確な答えがないのでいつも返答に困ってしまいます。
「一生この国と関わっていきます」
とカッコよく言えれば良いのですが、自分はそんなに力強く宣言ができる程の実力を持ち合わせていないのでそのような大言は吐けそうもありません。
かと言って「ここまで」と線引きをしてミャンマーと関わろうという気もありません。
当たり前の話ですが、8年も経つとこの国に少なからずの関わりが産まれる訳です。
とりわけ人との関わりは沢山あります。
会社の社員やその家族、仕事で知り合った様々な人、友人、その他お世話になった沢山の人々。
ふと頭に浮かぶそれらの人々は全てミャンマーの人々です。
コロナになったから、クーデターが起こったから、自分には大した力がないから。
このような理由で私はミャンマーと距離を置くことができなかった。
ただそれだけなのだと思います。
改めてこうして書いていると本当に自分の器が小さいのを痛感します。
のんびりとした性格が良くなかったのか、しかしこうした性格でなければこれまでそれなりに過酷な環境だったのは越えられなかったのではないかとも思います。
短所と長所がうまく同居していた事で私はミャンマーに関わり続けていたのだと思います。
そんな私ではありますが、いつまでものんびりはしていられません。
多くのミャンマー国民は今も大変な思いの中、何とか国を良くしようと各々の場所で必死になって頑張っています。
それはミャンマー国内に関わらず世界中にいるミャンマー人が心を同じくして動いています。
これまでと違いインターネットというツールで国内は勿論、世界のミャンマー人同士が繋がる事ができたというのが大きいのは言うまでもありませんが、それでもこの強さは豊かな大地で育ったミャンマーの人々独特なものだと思います。
非常に多様性に富んでいるので、一言で表す事など決してできないですが、敢えて私はミャンマーの人々を「無邪気」と表現する事があります。
この「無邪気」の中には人の好さも、要領の悪さも、気の長さも短さなど様々な長所短所が含まれながらも愛すべき人間像を込めています。
私がミャンマーから離れないというよりは離れられないのはこんな素敵な人たちと沢山沢山繋がってしまったからなのだと思います。
先日の記事のトップに出した写真でスタッフの子共がいましたが、彼女は8年前私がミャンマーに住み始めたちょうどその頃に産まれました。
今はその子が8歳になった訳です。
きっと私はなんのかんのと言いながらこの子が大人になり、またその子が生まれてと続いていくのをミャンマーに関わりながら見ていくのを望んでいるのだと思います。
44歳にもなって相わからず中二臭がいつまでも抜けない私ではありますが、そんな私がどれだけ頑張っても「長いものにはまかれろ」という大人達の意見には絶対に賛同しません。
そのことがミャンマーを不幸にしている根底の原因の一つだからです。
これからも大人になれない大人がミャンマーの人たちに夢を与えられるようになるまで頑張っていこうと思います。
そんな想いをこれからも綴っていきたいと思います。
どうかお付き合いください。
本当はもう少し言いたい事があったのですが、長くなってしまったので続きは次回にしたいと思います。
それではまた明日。
著者プロフィール
- 新町智哉
映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。
Twitter:@tomoyangon
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