ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々
ミャンマーの事を日々想う中で
皆さんこんにちは。
映像プロデューサー新町です。
今回は今私がミャンマーについてボンヤリと考えている事などをお伝えしたいなと思っています。
とりとめもなく、まとまりもないものになるとは思いますがお付き合いいただけたら幸いです。
その前に一つお知らせです。
今月はずっと一押しのミャンマーでのミュージックプロジェクトを皆さんにお伝えしています。
とにかく聴いていただきたいです。
凄く素敵な歌声に心洗われるようです。
是非グッドボタンやコメントなどよろしくお願いします。
それでは本題です。
今回の話は特にこのウェビナーで伝えられている事が参考になっています。
90分程ですのでもし気になる方は見ていただければと思います。
ミャンマーの事を研究されている中では私が一番素敵だと思っている根本敬教授です。
一般の日本に住む日本人の方々に今のミャンマーの状況を正しく伝えるのは本当に難しいと痛感しています。
ミャンマーに住む日本人でも正しく認識するというのは至難の技なので当然と言えば当然なのですが、歯がゆい想いをクーデターが起こってからずっと感じています。
遂にクーデターが起こってから1年半が経ちました。
まさか自分が深く関わった国でこんな事が起こるとは夢にも思っていませんでしたし、その国に対して自分がこれほどこだわりをもって関わり続ける事になるというのも想像していませんでした。
何故ミャンマーに行ったのか?
何故今もミャンマーにこだわるのか?
私がよく聞かれる質問です。
正直これらの質問に対する私の答えはいつも明確ではないと思います。
~だから
といったように一言で伝えられる自信は微塵もありません。
勿論8年も関わってきた国ですから愛着があって当然ではあるのですが、ではどこに?何に?というのは頭に浮かんでくるどれをとってもしっくりくる答えという風には思えないのです。
きっと私はこれからもその答えを探し続ける為にもこのミャンマーの国と関わり続けるんだろうなと思っています。
それでも、はっきりとわかっていることがあります。
私にはこれまで8年間というミャンマー生活の中で関わってきた沢山のミャンマー人の人たちがいます。
家族のように付き合ってきた仕事の仲間や友人、ミャンマーのクリエイティブの可能性を大きく感じさせてくれた沢山の事が自分の中に根付いているのを感じています。
少なくとも私は、この自分の中にある大切なミャンマーでの財産を一旦でも置いておいたまま国を後にするという事ができなかっただけです。
自己満足と言われればその通りだと思いますし、そのことによるミャンマーへの貢献など無いにも等しいものじゃないかとも思っています。
凄く正直な話をすると、コロナがミャンマーに来て、国中がロックダウンになって全てが止ってしまった時は撤退もチラつきました。
ようやくそこから復活のきざしが見えた時にこのクーデターが起った時なんかは「この困難に底はないのか?」と思いました。
もはや撤退したとしても誰も文句の言いようがなかったと思います。
ですが、身近でデモをしている人たちを観たり、沢山のミャンマーの人たちの想いを感じる出来事が沢山あった時、何かできる事はないのか?と常に考え続ける自分がいました。
そして、私史上最大であった自宅催涙弾着弾事件があり、
むしろ逆に帰っている場合じゃないと思いました。
ミャンマーに呼ばれて来た
なんて事を言ってた事もありますが、これだけの事が起こる自分には何かしらの役目が与えられていると思ってしまっています。
実際この事件が取り上げらた事や、その後の発信を続けている事もあり沢山の在日ミャンマー人の方々にも声をかけていただいたり応援していただいたりしました。
皆さんに期待していただける程の器は全くないので非常に恐縮ではあるのですが、自分なりに沢山の事を語り、沢山の事を書き、少しでもミャンマーという国の事を伝えるために動いてきました。
もはや自分にとっては「第二の故郷」なんて言い方も軽く感じます。
私にとっては祖国である日本もミャンマーも第一の国です。
仮にミャンマーに居続ける事が出来なくなったとしてもミャンマーという国と一生関わっていくことは間違いありません。
そう決めたというよりそう決まっているという感覚です。
スピリチュアル的なことは得意ではないのですが、そういった運命的な事が自分とミャンマーにはあるのだとはっきり感じています。
そういえば、ミャンマーで占ってもらった時も有名な占い師さんに色々とそのような運命的な事も言われた気がします。
確かその辺りの話もどこかで書いたと思うので気が向いたら探してみてください。
関わり続ける事が自分の中で随分前から決まっていたから焦りはあまりないのかもしれません。
一年や二年スパンで自分が向かう先を見ている訳ではないのでじっくりやっていければ良いと思ってます。
そんな呑気な状況でもないので、私に近しい人などには心配も迷惑も沢山かけるとは思うのですが、いつか自分に関わっていなければ見られない景色も一緒にみてもらえると思うのでそれまではどうかよろしくお願いします。
こんな自分でもミャンマーに行ってから人の親になる事ができました。
勿論我が子は何より可愛いものです。
何よりも大切な存在です。
ですが、これまで出会って関わってきたミャンマーの子供たちにも同じように未来があります。
願わくは私がその子たちの為に沢山の希望を与えていくことができるよう、これからも頑張っていきたいと思います。
どうか引き続き見守っていただければ幸いです。
それではまた。
著者プロフィール
- 新町智哉
映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。
Twitter:@tomoyangon
Instagram:tomoyangon
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