ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々
ミャンマー発、クラウドファンディングプラットフォームを目指した軌跡
皆さんこんにちは。
新町です。
今回は前回の続きになります。
まだ昨日の記事を読んでいない方はそちらを先にお読みください。
支援を求める人と支援をしたい人をミャンマーのエンタメで繋ぐ事業
2011年頃から日本でも流行り出したクラウドファンディング。
この注目の事業をミャンマーでも始められないかと本格的にスタートしたのが、2019年の春ごろでした。
まずは自前のシステム(HP)が必要だと考え、知り合いのIT会社へ外部発注の相談に行きます。
それと同時にこの事業のコンセプトを固めていきます。
自分一人で考える事もありましたが、多くはミャンマー人スタッフや近しい友人などと事業の意義などを話し合ったのを覚えています。
「支援が必要な人と支援したい人をエンターテインメントで繋ぐ」
当時ここまで明確に言語化は出来ていませんでしたが、ミャンマー発のクラウドファンディングプラットフォームをするというのはこういう事だろうなと思います。
ただ、アメリカや日本などの先進国でやっているクラウドファンディング事業をコピーしただけでは意味がありません。
インフラや法律面など、ミャンマーには揃っていないものが多い。
そんな中でも出来る事、そしてミャンマーの強みを活かしたやり方、そして私が目指す
「国を救うエンターテインメント」
というところまで昇華できるようにしなければやる意味がないと考えていました。
しかし、非常に難しい問題がいくつもありました。
その中でもやはり大きかったのは法律の問題です。
ミャンマーでクラウドファンディングの事業を定める法律がそもそもないのです。
そもそもミャンマーでクラファン事業をやろうというのは何も私が初めてではありません。
私が思いつくようなことは万人が考える事ですから沢山の人が考えそして諦めていった経緯があります。
その多くがこの法律がまだ未整備という問題だったようです。
とはいえ、これからその法整備が整うのを待っている時間もありません。
乱暴な言い方かもしれませんが、ここはやりながら考えるしかないという結論になりました。
ミャンマーの人の事業の考え方の一つに「走りながら考える」というのがあります。
私はこれがとても好きな考え方で、ミャンマーの人らしいなとも思っています。
とはいえなんでもかんでも行き当たりばったりという訳にはいきません。
結論から言うとこれは事業を立ち上げから一緒に作り上げてくれるミャンマーの人たちとパートナーシップを組む事でやっていくことになりました。
幸いにもご縁のあったミャンマー最古のNGOの一つと提携ができることになったので会長さんや役員の方々と何度も話し合いをしました。
決してそういった団体と提携ができれば全てがうまくいくという訳ではありません。
そんな簡単な事ではないのですが、それでも共に「走りながら考えてくれる」パートナーができたのはとても幸運で心強い事でした。
中々スピーディーには進まない事業ではありましたが、それなりに手ごたえも感じている中、プラットフォームのオープンを2020年の4月と定めました。
自分の中ではエンタメ要素も絡めた宣伝活動や広報活動、更には様々な業界などとのコラボなど考えていました。
ですが、2019年の12月、私はこの事業立ち上げを一旦停止することを決定しました。
様々な理由があり、その全てをここでは表現しきれないのですが、一番の理由は、この事業がうまくいった時、つまりは目先の数字的な目標などがクリアできた時に起こるであろう問題などの対処のめどが自分の中では全くたたなかったからです。
「走りながら考える」と言ってた割には弱気な発言のように思うかもしれません。
ですが、当時私は20人程のミャンマー人スタッフを抱える経営者でした。
経営者として、金銭的リスクは抱えれたとしても社会的、政治的リスクが伴い兼ねないこの事業をこのまま推し進めるのは現時点では非常に危険だと感じたのです。
無謀で、危険に人々を巻き込む挑戦はもはや挑戦とは呼べません。
やりたい事も可能性も大きく感じながらも提携先などにも事業立ち上げの停止を伝え時期を待つ事にしました。
その後、実際に2020年4月に何が起こったかというと、ミャンマーにコロナが訪れ空港も封鎖されるという事態になるような国全体のロックダウンが起こりました。
あのまま進めていたらどうなったかと思うとゾッとするところです。
恐らく考えていた宣伝活動、広報活動は全てできなかったと思います。
結果的には大きなリスク回避となった訳ですが、
逆にこの国への支援のがより必要になり、ミャンマーでのクラウドファンディング事業はますます可能性と重要性が増した形になりました。
更には昨年のクーデターが起こり、国全体の疲弊度はもはや数値では測れません。
もっと早く事業の立ち上げを始め、コロナが始まる前にその地位をキチンと固めていれば、もしかすると現状でも沢山の支援を集められるプラットフォームに成れていたのかもしれません。
たらればを言えばキリがないですが、非常に悔やまれるところです。
ですが、私の中に強く残ったコンセプトがあります。
「支援が必要な人と支援したい人をエンターテインメントで繋ぐ」
これは今後、クラウドファンディング事業に限らずミャンマーでエンターテインメントを興していく私の大きな指針になっていく事だろうと思います。
まだまだ発信できるに至ってはいない事もいくつか動いていたり、考えていたり目論んでいたりします。
その全てがミャンマーエンターテインメントだなと思い、今日も諦めず上を向いていたいと思っています。
この国を作っているミャンマーの若者たち、そしてそれを応援する人たちが存在し続ける限り可能性は消えません。
国を救うエンターテインメントがこんなところにあっても良いよねと皆にいってもらえるよう、世界の片隅で引き続き頑張っていこうと思います。
どうか応援よろしくお願いします。
それではまた。
著者プロフィール
- 新町智哉
映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。
Twitter:@tomoyangon
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