World Voice

ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々

新町智哉|ミャンマー

ミャンマーで7年8カ月暮らして今想うこと

筆者:2015年撮影

皆さんこんにちは。
今月ラストの連載になります。
今日は何を書こうかと考えていたのですが特に今これを書こうというのは思い浮かびませんでした。
最近はミャンマーでの情勢などについて書くことが多かったのですが、今私がぼんやりと考えていることや、これから私がやろうとしている事などをつらつらと書いていこうかと思います。
特に何か具体的な事や、革新的なことが有るわけではありません。
ここまで7年と8カ月、ミャンマーに居る男がこれから何をやらかそうとしているかを書けるだけ書いていこうと思います。
良かったらお付き合いください。

その前にお知らせです。

毎週火曜日、日本時間21時より
「ミャンマー言いたい放題ラヂオ」という配信をしています。
7.jpg

こちらは前回放送のアーカイブです


配信は主にclubhouseで、その他SNSなどでも同時配信しています。
ミャンマー現地から、そして日本からは東京外大ビルマ語学科の学生と共にミャンマーについて語り合う番組となっています。
情報アップデートを含めミニコーナーやメインテーマなどもあります。
是非一度聴いてみてください。

2.jpg

※フォローよろしくお願いします。

それでは本題です。
2014年の7月19日にミャンマーに降り立ってから随分と長い時間が経ちました。
他の国には旅行くらいでしか言ったことがないので、私にとって海外生活はミャンマーが初めてであり、今後どこか他の国で暮らすのかどうかというのは今のところ想像もできません。

よくされる質問に「いつまでミャンマーにいるつもりなのか?」というのがあります。
もともと誰かに雇われるような形でミャンマーに来た訳ではないので期間を誰かに決められるということは無いのですが、そういえばミャンマーで暮らすと決めた時には
1.2年たったら日本とミャンマーを半々で行き来しているような生活だと楽しそうだな」
などと考えていたような気がします。

こちらに来てから特に最初の2年は怒涛のようでした。
書けることも書けないようなことも沢山起こり、間違いなく人生で一番濃い時間を過ごしていたと思います。
そして、長く過ごせば過ごすほど、この国でやりたいことが増えていきます。
私自身が可能性の塊などという事は全くなく、凡人も凡人な一個人なのですが、それでもミャンマーというこの魅力溢れる国に居れば「ワンちゃんあるんじゃね?」と勘違いを拗らせてまだここに留まっているのかもしれません。

実際思い描いていたような日本とミャンマーの半々の生活などからは程遠く、あれもこれもと挑戦したことも全てうまくいかずに這う這うの体で何とか生きている始末。
コロナが来る前にようやく一本の道が見えたかのように思っていたのも全て打ち砕かれ、クーデターでとどめを刺されたと、普通の人なら思うであろう散々な状況です。
それでもギリギリの、本当にギリギリのところでまだ
「この国で夢をみて見ても良いのではないか?」
と思わせられるような出来事に出会ってしまうのです。

コロナ以降沢山の人がミャンマーを去ることになりました。
クーデター以降はさらに多くの人がいなくなりました。
それでも私はまだ、何故かミャンマーに居ます。
決して人に自慢できるような成功を何もしていないにもかかわらず、です。

もしこの先何の成果も残せずに消えていくとしたらただの戯言で終わってしまうような話ではありますが、私の近くにはずっと一筋の光が残っているように感じています。
私個人だけではなく、この国自体が絶望的な状況にある今でもなおです。
今日この瞬間にそれが何なのかをうまく言葉にする力を私は持ち合わせてはいませんが、このミャンマーという国を知っている人であれば何かを感じてもらえる人もいるのではないでしょうか?

いついかなる時も常に前向きにやってこれた訳ではありません。
安定した生活ではなかった分むしろ一般の人より浮き沈みの激しい7年8カ月だったと思います。
ミャンマーに来る前から、正解が見えた事などは一度もありません。
とにかく思いつく限りの挑戦をし、日々起こるトラブルへとにかく動きまくって、考えまくって対処してきました。

そういう方面から思い返してみると、沢山の地雷に出会っては対処をしてきた経験があるので、次に何かをするときはその地雷は最低限避けながら進むことができる人間にはなっているなと思います。
その経験は日本で生活していたとしても起こりえないものばかりだったのでミャンマーで得た最大の資産と言えるかもしれません。

そして、やりたいことは相変わらず沢山抱えたままではあるのですが、この国難の時にあたり不思議と今はやらなければいけない事というのも沢山出てきました。
様々な経験や知識、そしてチャンスを与えて自分を成長させてくれたミャンマーという国にまだ何もお返しができていないので、自分が成功するとかより先にやらなければいけない事がもっと沢山あるんだろうなと感じています。

どれも途方もないようなことに繋がってしまうような事ばかりで、自分の人生の間に達成できる気は全くしないのですが、縁あって暮らしているミャンマーでこれだけの苦難が沢山あったのにまだ残っている自分にはそれをやり遂げる義務があるのではないか?
そんな気もしています。

何故ミャンマーなのか?
という質問もよくされるのですが、
一言で言うと「勘です」としか言いようがありません。
ですが、実際に住んでから何年もした後に実は自分自身にもここに来る色々な縁があるのがわかったりもしました。

とにかくこの「縁」が私一人の人間ごときでは考えられないような大きな力で私とミャンマーを結び付けているような気がしています。
自分で選んだようで自分が選ばれているような感覚でしょうか?
やはり後は自分なりに、できるだけ頑張るしかないんだろうなと思います。

びっくりするくらいまとまりもないような話をただダラダラと書いてしまいました。
自分としては改めてまた頑張っていこうと奮い立つきっかけにしたいなと思います。
今日は抽象的な話に終始してしまいましたが、裏では具体的に動いていることなどが実はあります。
いづれその辺りも皆さんにお伝えできると思いますので、もう少しお付き合いいただけると幸いです。

それではまた。

最後に一つ動画の紹介です。

再生回数が2万回を超えました。
良かったら是非一度聴いてみてください。
高評価チャンネル登録もよろしくお願いします♪

 

Profile

著者プロフィール
新町智哉

映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。

Twitter:@tomoyangon
Instagram:tomoyangon
note:https://note.com/tomoyaan

あなたにおすすめ

あなたにおすすめ

あなたにおすすめ

あなたにおすすめ

Ranking

アクセスランキング

Twitter

ツイッター

Facebook

フェイスブック

Topics

お知らせ