World Voice

ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々

新町智哉|ミャンマー

ミャンマーヤンゴンより、2021年を大きく振り返って

2019年1月お年玉を上げた後の記念撮影

皆さん今晩は。


この時期でも相変わらず昼間は暑いヤンゴンから新町がお送りしております。
そろそろ12月も終わりを迎えようとしているんだなと日本の様に気候で四季を感じられない中でも一年の終わりを考え出した今日この頃です。
今年はこれで最後?の投稿になると思っていますので、今日はこの一年を振り返ってみようかなと思っています。

その前にお知らせです。
連日お伝えしております、現在私が一推しのヤンゴンかるたプロジェクトのクラウドファウンディング、支援金が188万円を突破しました。
支援者は166人になりました。
既に目標の100%は超えていますが、セカンドゴールへ向け新たなスタートを切っております。

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我々「一杯のモヒンガー」製作委員会より対訳付き脚本をリターン用に寄付させていただきました。
勿論寄付ですから、私たちはこのリターンがいくらでても1円も、いえ1チャット(ミャンマーの通貨単位)も受け取りません(出れば出る程赤字です)
安心してドンドン頼んでいただければ嬉しいです。
10代のチームが中心のこのプロジェクト、私は凄く大きな可能性を秘めていると感じています。
是非応援してください。
勿論私も支援しています。
早く実物を見るのが楽しみです。

ヤンゴンかるた+一杯のモヒンガー対訳本リターンはこちらから

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お知らせをもう一つ、
12月30日木曜日J-WAVEのJAM THE PLANETというラジオ番組に出演します。
8月に出演させていただいたのですが、
その時の記事はこちら

今回は年末最後の回に際して、「今年気になった都市」の中でヤンゴンも選ばれました!
私の出演は20時台の予定です。
年の最後でミャンマーについての話をラジオでさせていただける事に感謝です。
ミャンマーを応援してくださる全ての人に届けたいと思います。
是非お聞き逃しなく。
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さてそれでは本題です。


2021年を振り返って


今年はやはりミャンマーで起こったクーデターが全てという事にはなるのですが、
思い返してみると年の初めの1月にはミャンマーコロナ第2波も収まりをみせてようやく出口がみえてきた時期でした。
正に日が変わった2月1日の夜中に私はバンド仲間とグループ通話していました。

コロナで日本とミャンマーで離ればなれになってしまったバンドメンバー達と他愛もない話をしていたのですが、その中の情報で駐在員のメンバーから
「春にはそちらに戻るよう会社が準備を進めている」
というような話を聞き、いよいよかと盛り上がっていたのです。

正にその裏ではミャンマーでクーデターが密かに首都ネピドーでは行われていた訳です。
そんな事など夢にも思わずその日は夜更かしをして眠りました。
実はネットや電話など通信が全て止められていた時に私は完全に眠っていてその事に気付かづ、ようやく少し通信が回復し、沢山のメッセージの通知で目が覚めました。

窓から見える街はまるで何事もないように見えました。
あの日の私がどんな想いで外の景色をみていたのかはもうはっきりとは覚えていません。
自分に何が出来るのだろう?
何をすべきなのだろう?
一ミリも家から出る事が出来ないままそんな事を考え続けました。
その時の街の様子はこちら
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2月は毎日ずっとデモの音が家からも聞こえました。
その様子を少しでも伝えられればと家の窓からその様子を撮りました。
「これを続けていて果たして自分の安全は大丈夫なのだろうか?」
何度もそんな考えが頭をよぎりましたが、こんな自分に出来る事はそれくらいしか思いつきませんでした。

2月22日は大きな大きなデモが国中で起こりました。
2021年2月22日ということで、ミャンマーの人たちは22222の日と銘打って全国で大規模なデモを呼びかけ、実際数百万人の大きな規模のデモになったようです。
これだけの規模のデモがこの穏やかな人々が暮らす国で起こるとは想像もしていませんでした。
7年住んでいただけの私の認識の甘さを痛感した時期でもあります。

そして2月28日。
近所で起こったデモ隊への軍の弾圧の中、私の家へ催涙弾が撃ち込まれました。
結局あれが流れ弾だったのか、私の家を狙ったものだったのかは未だにわかりません。
もはや追及しようとも思ってはいませんが、とにもかくにもただ日本人というだけでは安全ではないという事を思い知らされました。

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そこから起こるこの国での様々な軍の弾圧は酷いもので、筆舌しがたいものも数えきれない程あります。
私も、催涙弾が家に飛び込んで来た時は死ぬような思いでしたが、この残虐な事件に比べればなんてことはありません。
ただ、あの時の確かに私が一瞬とはいえ感じた死の恐怖。
その何倍も何十倍もの恐怖を今日も沢山の人たちが感じていると思うと本当にいたたまれない気持ちになります。

その後その家に戻る事は無く引き払い、ミャンマーに来てからずっと住んでいた街から初めて引っ越しをしました。
気付けば周りに日本人はおろか、外国人も全く住んでいないような状態だったので、住み慣れた場所ではあったのですが、移動を余儀なくされました。

この調子で振り返っていってしまうと物凄い長編になってしまう事になるので、それはまたいずれかの機会にしたいと思います。
とにかく、そこから、自分に出来る発信を続けて今日に至ります。

私はエンターテインメントの世界の住人です。
出来ることなら、ミャンマーでずっとその業界にだけ関わっていたいと今でも思っています。
そんな私がこのような発信を続ける事に日々葛藤はあります。
衣食住、そして安全がちゃんとそろってこそエンターテインメントは人々が本当の意味で楽しめるものです。

ですが、こんな国の状態になってもミャンマーの人々は小さなエンタメで日々楽しむ様子がみられます。
最初は意外でしたが、よくよく想像してみたら、自分も極限状態に陥ったとしても大好きな歌を歌ったりしていると思います。

衣食住、安全を揃えるのが先決かもしれないが、エンターテインメントを求める想いが、この国の復活を助ける力にもなる。
そう信じて、引き続きこの国の為に発信を続けていきたいと思っています。
どうか引き続き見守っていただけたら幸いです。
皆さん、良いお年を。

それではまた来年。

 

Profile

著者プロフィール
新町智哉

映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。

Twitter:@tomoyangon
Instagram:tomoyangon
note:https://note.com/tomoyaan

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