ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々
明日は「殉教者の日」
皆さんこんにちは。
ミャンマーから新町がお届けします。
今月はオンラインのイベントでミャンマーについてあれこれと話をする機会をいただいています。
先日はReASIA(リアジア)さんのNongkrong#12(ノンクロン)というイベントに参加させていただきました。
そちらについては先日の記事
間もなく在住7年
をご覧ください。
更に昨日は
「ミャンマー民主化を支援する信州の会」の結成総会で少しだけですがお話しました。
こちらについてはnoteにまとめてあるので良かったら覗いてみてください。
さて、明日7月19日はミャンマーにとってとても重要な日となっています。
1947年7月19日午前10時37分
ビルマの独立指導者であるアウンサン将軍が6人の閣僚とともに暗殺されました。
翌1948年1月4日のビルマ独立を見ることなく亡くなったのはさぞ無念だったと思います。
その後、彼は伝説的な存在となり、今もミャンマー国民の中で語り継がれる事となります。
言わずもがな、NLDの党首であるアウン・サン・スー・チーさんのお父さんでもあります。
この日は国中を上げてアウンサン将軍の追悼する日となっています。
暗殺された時間の10時37分になると皆一斉に黙とうをささげます。
街を行く車という車がクラクションを鳴らして彼の死を悼みます。
2014年7月19日
そんな特別な日だと知らずに私はこの日からヤンゴンに住むようになりました。
当時は全くそんな事も知らずに、この日になったのは本当にたまたまでした。
平日のつもりでやってきたのに、随分と街がのんびりしているなと感じたのを今でも覚えています。
ミャンマーの雨季というのもまだよく理解が出来ていない時で、とにかく湿度が凄く高く蒸し暑い気候でした。
あまり多くの予備知識を入れずとにかくこの国に飛び込んでみて自分に何が出来るのかという可能性にかけてこの国にやってきました。
我ながら36歳で大冒険だなと思います。
自信があった訳ではありません。
それでも導かれるようにこの日にミャンマーへ降り立ったのには何か意味があったのだろうなと今でも思います。
それからの7年間はどこを切り取っても本当にドラマチックな日々でした。
最初の2年間は本当に無我夢中で、何度か(本当に)死にかけながらもがむしゃらに掛け抜けていき、その後もおもわぬ形で経営者となり、沢山の社員を抱えて頭を悩ませる日々でした。
うまくいったことなどほとんど無く、今はコロナ、そしてクーデターに打ちひしがれているところです。
ここまでもっと成功する事が出来ていたら、もっと沢山のミャンマー人スタッフ達を今も守れる事ができたのか?
してもしょうがない問いが頭の中に浮かびます。
それにしても2014年の私はそれからどんな事が起こるかなど微塵も想像できなかったと思います。
死にかけた事、世界中で起こったコロナ禍にミャンマーも飲み込まれた事、もうこれ以上はないと思っていたところでのクーデター。
外国人に危険はさすがにないだろうと思っていたところで自宅への催涙弾着弾。
他人事として聞いてれば興味深い話ばかりですが、全て自分に起こった現実なので笑ってばかりもいられません。
全てを語り切る事はできませんが、エンターテイメントに関わる人間として、これまでの沢山の経験を活かして作品作りに活かしていきたいと思います。
コロナ第3波がクーデター禍のミャンマーを襲っています。
たとえこのコロナが明けてとしても国民は更に大きな敵と戦い続けなければなりません。
建国の父と言われるアウンサン将軍もこのような大きな敵と戦っていたのかと思うと尊敬の念しかありません。
最後まで諦めなかった不屈の闘志は娘であるアウン・サン・スー・チーさんにも受け継がれているのでしょう。
国民は日々戦っています。
コロナともこのクーデターとも。
7月19日、ミャンマーの人々は何を想い、何をするのでしょうか?
日本の皆さんも是非この日にミャンマーに想いを馳せていただければと願っています。
国を救うエンターテインメントを探して明日も頑張っていきます。
それではまた。
著者プロフィール
- 新町智哉
映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。
Twitter:@tomoyangon
Instagram:tomoyangon
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