ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々
続「アウン・サン・ザ・ムービー」に出演した日本人たち
今回の投稿は前回の続きになるのでそちらを読んでいない方は先に一昨日の投稿を読んでからにしてください。
https://www.newsweekjapan.jp/worldvoice/shimmachi/2021/05/post-18.php
2019年9月
知り合いから映画アウンサンに出る為のオーディションがあるというので、物凄い前のめりに参加する旨を伝えました。
これほど大きな映画企画に参加出来る機会は中々無いと思ったので、エキストラでも全然良いと思っていたのですが、どうやらそのレベルではないとの話。
なるほど、ちゃんとクレジットで名前が載るレベルかとテンションが上がったのを覚えています。
ミャンマーではこのような話がたまに流れてきます。
しかし、いつもなんですが、詳細な情報というか正確な情報は流れてきません。
結局よくわからないまま話が空中分解する事もよくあります。
ぬか喜びにならないようにと気を付けてはいましたが、話が話しだけに期待せざるを得ませんでした。
しかも近々大きな会見があり、そこにはスー・チーさんも来るとか来ないとか。
正直ここまで話が大きくなると空中分解は全然あり得るなとは覚悟しました。
まず話の真偽がどうかという問題もあります。
本当だとしたら自分たちごときに話が回ってこないという事もあるとは思うので、浮かれないようにとは思うのですが、仲間内でかなり盛り上がってあれやこれやと話をしたものでした。
オーディションはヤンゴン市内のとある場所でやるとのこと。
そしてセリフは英語が多いので面接も英語でやると。
「マズイ」
はっきり言って英語には全然自信がない。
一瞬これまでかと思わなくはなかったですが、すぐに自信はないけど、何とか気持ちで乗り切ろうと思い直しました。
それに「実際英語必須みたいに聞こえるけど、行ってみればそんなこと全然無かった」という可能性もミャンマーでは往々にしてあるなと考えました。
実際はその通りで全然英語じゃなくても大丈夫でした。
前情報が本当に少なく、そもそも1人で会場までたどり着けるのかどうかも不安ではありました。
実際結構複雑なところにあり、結構迷いました。
何とか会場にたどり付くと、顔見知りが沢山います。
最終的にこの日10人以上のオーディションが行われたんですが、ほぼ知り合いでした。
「ポジティブに動く人大体知り合い」
ヤンゴンあるあるです。
待ち時間の間に今回私たち在ヤンゴン日本人のお世話をしてくれるミャンマー人の方に挨拶しました。
この方は日本語もペラペラで、日本への理解が物凄く深い方なのでこのプロジェクトに参加するに辺り最も頼りになる方となっていました。
そしてそして、ようやく知る事になる今回の映画の監督さんを紹介される時に奇跡が起こります。
そうなんです、ミャンマーに来てから何度かご縁があるルミン氏今回の監督だったんです。
数年前一度、ルミン監督の作品にも出演させてもらった事があり(因みに未だに公開はされていません)親交があるというのは言い過ぎですが、珍しい日本人ではあると思うので覚えていてくれてる可能性は高い。
「これはもらったのかも」
と正直思いました。
ここに来てとんでもない追い風来たなと1人思います。
オーディションに来ている人たちはほとんど知り合いで、仲が良い人ばかりなので出来る事ならみんなで楽しく出演したいとは思いましたが、私もエンターテイナーのはしくれ。
しかも一応俳優経験者ですから、少しでも良い役をゲットしたいという思いはありました。
箸にも棒にも掛からないようなシュチュエーションで気を履いてもしょうがないとは思っていたんですが、これはもう頑張るしかない状況になったと感じていました。
しかし、みんなに挨拶するルミン監督はあくまでみんなに話しかけている感じで、その中で特に私の話が出る事はありませんでした。
「本当に覚えらえているのか」
という不安がよぎりましたが、とにもかくにもオーディション頑張るしかないなと思い順番を待ちます。
久しぶりに緊張しました。
何だか役者を目指していた時を思い出す懐かしい感覚です。
この辺りからの仲間内との会話は覚えていません。
恐らく、緊張をほぐすためにも色々と話していたとは思うんですが、何を話していたか全く覚えていません。
しかし、よく周りを見るとオーディションに来ている人達は私以外、基本的に英語が話せる人達ばかりです。
「これはかなりハンデになるのでは?」
監督票は入るかもしれないが、その他の人に英語がダメって事で落とされるとかもあるのだろうか?
不安はありましたが、もうやるしかない状況でした。
私より前の人にどんな様子だったかを聞いたりもしたのですが、そもそも英語を話せる人達ばかりだったのでその辺りどうなのかは参考になりません。
用意していた英語での自己紹介の文面はこの段階で綺麗さっぱり忘れていました。
今、自分が置かれているのがピンチなのかチャンスなのか良くわからない状況の中、私の番が回ってきます。
皆が居た待合室から大きな吹き抜けのフロアーを越えてオーディションを受ける部屋に1人入ります。
この建物は古い洋館のようなところなのですが、この吹き抜けのフロアーも凄く雰囲気があるところで何だか今の状況自体が映画みたいだなという風に感じがしていました。
部屋に入ると、監督以下、ずらりと人が並んでいます。
いきなりプレッシャーでした。
当たり前と言えば当たり前ですが、中々の圧があります。
かなりの緊張が身を襲いますが、何とか平静を装ってオーディション開始です。
ここで開口一番、ルミン監督から思いもよらなかった言葉が出ます。
「お久しぶりです、私の事は覚えていますか?」
この日一番嬉しかった出来事です。
何度こちらからそれを言おうと思ったかはわかりません。
しかし、それでもし微妙な反応になったら一気に心が折れると思って口には出せませんでしたが、まさか監督の方から言ってくれるとは!
監督からの驚きの言葉でオーディションはスタートしました。
続きます。
※※ルミン監督はクーデタ―発生後、ストを呼びかけ、刑法の規定に抵触するとして逮捕拘束され現在も開放されていません。
無事を祈ると共に、いつか必ずこの映画も完成されることを願って映画アウンサンについての話を綴っていきたいと思います。
引き続きよろしくお願いします。
日本人ジャーナリスト北角さんの記事を参考のため紹介します。
著者プロフィール
- 新町智哉
映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。
Twitter:@tomoyangon
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