ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々
「アウン・サン・ザ・ムービー」に出演した日本人たち
2019年9月。
私のところに何とも面白い話が転がり込んできました。
「アウンサン将軍の映画を作る話が合って、そこに出演する日本人を現地で探しているらしい」
なるほど。
長年ヤンゴンで曲がりなりにも芸能関係の仕事をしている人間であればこういう話があり得ない事ではないのはわかります。
私としては
「詳細を聞こうじゃないか」
と言ったところ。
そもそも映画アウンサンの話は数年前から出たり消えたりしている話でした。
ミャンマーの建国の父と呼ばれている人であり、世界的には彼より有名なアウンサンスーチー氏の父でもあるボージョーアウンサンその人を主人公にした映画です。
このミャンマーの英雄が、華々しく活躍し始める前から亡くなるまでを描くという映画企画。
その中には大きく日本との関わりが出てくるんです。
軍事クーデタ―以降にミャンマーの事を知った人はご存知ない人も沢山いるとは思いますが、実はミャンマーと日本の関わり物凄く深いんです。
今「軍とNLD政権両方に深いパイプが」うんぬんが議論に上がったりますが、大元をたどればミャンマーが100年続いたイギリスからの独立を果たすという快挙に大きく影響を与えた日本というところから話は始まります。
ミャンマー国軍が出来るのに尽力したのが当時の日本軍です。
そしてその国軍のトップがこのボージョーアウンサンその人なのです。
その娘がアウンサンスーチーさんという訳なんですね。
ここから先は物凄く複雑な事になっていって今のミャンマーの状況になってはいるので、その全てをここで話し切れるものではないで、それはまた別の機会に。
今日はこのミャンマー独立の立役者であり、この映画でもアウンサンに次ぐ重要人物にスポットを当ててお話しします。
ミャンマーの人の中で有名な日本人といえばいくつか上がる人がいますが、
その中で歴史的に有名人と言えば鈴木 敬司(すずき けいじ)氏が必ず上がってくるようです。
日本軍の特務機関「南機関」の機関長である彼は1941年から1942年にかけて、ビルマ(現在のミャンマー)の独立運動の支援を任務としていました。
日本はミャンマーの独立を陰から支える形を取ったのです。
勿論これは日本に取っての軍事戦略だった面が大きくあります。
鈴木氏もあくまで軍人としてこの作戦に関わった1人でありそれ以上ではありません。
しかし、そこにはアウンサンと鈴木敬司との友情の物語が少なからずありました。
そういったところを大きく取り上げていくというのが映画の趣旨でした。
下の記事を読んでもらうと詳しくわかると思います。
鈴木敬司役は日本からプロの役者さんを招いて撮られたんですが、それ以外の役、
この南機関やその他日本人などは現地にいる日本人からオーディションなどをして選ばれました。
https://news.nicovideo.jp/watch/nw5968472
その中で私も出演を目指すべくオーディションに応募して見事とある役をいただけることになりました。
それは果たしてどんなものだったのか。
この続きは明日以降の投稿で詳しくお話ししたいと思います。
映画についての紹介動画があるので観てみてください。
※動画を観るにはフェイスブックアカウントが必要です。
いかがだったでしょうか?
全編ミャンマー語で字幕もないので私にも細かい内容はわからないのですが、雰囲気は伝わったかと思います。
国策映画とも言えるこのプロジェクトに関わり、出演する機会を得たとある中年の奮闘記を明日以降お届けします。
お楽しみに。
それではまた明日。
著者プロフィール
- 新町智哉
映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。
Twitter:@tomoyangon
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