南米街角クラブ
僕らはボサノヴァが歌われた「あの頃」をしらない
今から94年前の1月25日、ジョビンはリオデジャネイロのチジュッカ地区に生まれた。
彼の作品にはアントニオ・カルロス・ジョビンと名前が記されているが、ブラジルではトム・ジョビン(ポルトガル語ではトンに近い発音)という名で親しまれていた。私の音楽仲間たちはジョビンと呼ぶことが多い。
ジョビンといえば、ボサノヴァ(ポルトガル語ではボッサノーヴァに近い発音)作品で世界的にも有名な「イパネマの娘」の作曲家だ。
この楽曲は多くのアーティストによってポルトガル語、英語、スペイン語、あるいはインストゥルメンタルミュージックとして録音されてきた。
ボサノヴァは日本ではカフェテリアでよく聴かれるので、ボサノヴァという言葉をしらなくても曲を耳にしたことがある人は多いだろう。
それはブラジル人の音楽家からすると随分と不思議なことだそうだが、こうして自国の音楽が聴かれていることは一つの誇りだと嬉しそうに話す。
私もボサノヴァに魅了された一人で、単身ブラジルに乗り込みもうすぐ7年となる。
ボサノヴァが世界的に有名になったのは、アメリカのジャズミュージシャンに取り上げられたことや、リオデジャネイロを舞台にフランスの映画監督によって制作された「黒いオルフェ」などの影響が強い。
実際に私が日本で一番最初に演奏したボサノヴァ「イパネマの娘」もタイトルが英語表記「The Girl from Ipanema 」となっていたし、メロディも英語の歌詞にのせて書かれたものだった。
このように、私のブラジル音楽人生はアメリカ経由のボサノヴァから始まったのだが、はじめてポルトガル語で歌われたボサノヴァを聴いたときの感動は今でも覚えている。そこには英語で歌われたボサノヴァには感じられないスイングがあった。
多くのボサノヴァファンが、ブラジルで生のボサノヴァを聴いてみたいと思っているだろう。
日本にてブラジル音楽について調べ始めた頃から、今日のブラジルではボサノヴァが古臭い音楽のように扱われているという話を聞いていた。
それは寝ても覚めてもボサノヴァを聴き、いつかコパカバーナの海岸でボサノヴァを耳にする日を夢見ていた私には大変ショックな話だったが、2010年に初めてブラジルを訪れた際、それが本当の話であることを痛感したのだった。
少しだけボサノヴァの物語について書こうと思う。
ボサノヴァを知るにあたって欠かせないのは、場所と時代背景である。
特定の人物を「ボサノヴァの生みの親」と呼ぶ文章もあるようだが、私はこれは自然発祥した一つの芸術が、そのまま文化として残ったものだと思っている。
ボサノヴァが生まれたのは、リオデジャネイロ市の中でも特に美しいとされる南地区。
青い海と砂糖パンのような大きな岩、丘の上に建つキリスト像。
リオデジャネイロは、ブラジルを訪れるなら是非行ってみてほしい場所の一つだ。
1930年代に一般的になったラジオ放送により、音楽はより身近なものとなっていく。
人気の歌手や器楽演奏家、作曲家、編曲家などがリオデジャネイロやサンパウロなど主要都市のラジオ局に所属し、積極的に新作を発表していた。ラジオと共により大衆化していくサンバやショーロ、そしてラテンアメリカ圏のボレロやタンゴ、アメリカ合衆国のジャズ(主に歌曲)が人気を集め、1950年代にはサンバカンサォンと呼ばれるスローでロマンティックなサンバの再流行とピークを迎える。
こういった流行りの音楽をクラブやキャバレーなどで演奏してたミュージシャンたちは、ヨーロッパ生まれのクラシック音楽やアメリカで聞かれる旬なジャズのハーモニーからヒントを得たりしながら、より独自のスタイルを模索していた。
そこに顔を出していたミドルクラスの若者たちは、自分たちも新しいハーモニーや和声進行をさがすことに夢中になっていた。
彼らはラジオ放送で人気を博したディック・ファルネイ*やアメリカ人歌手のフランク・シナトラのファンクラブに所属、そこでジャズに関する最新情報を交換し、誰かが新しいレコードを手に入れては家に集まって遅くまで議論を交わしていたのである。
* Dick Farney(1921/11/14 - 1987/08/04)歌手、ピアニスト。ロマンティックな作品が得意で、ピアノ弾き歌いもする。米国滞在経験もあり、コール・ポーターなどアメリカの作曲家の作品も英語で録音している。
よくボサノヴァとサンバの違いについて聞かれることがあるが、ブラジル人のミュージシャンでもその違いがわからないということもあり、中にはボサノヴァはサンバであると話す人もいる。
では、ボサノヴァの音楽的な特徴を挙げてみよう。
歌詞、歌唱方法、より現代化されたハーモニー、サンバチームで演奏されるようなバトゥカーダ(打楽器による演奏)をギター1本に凝縮させた奏法などが言えるだろう。
ボサノヴァ以前のブラジル音楽の歌詞は「誰も僕を愛してくれない。誰も僕を必要としてくれない。」といったような暗く悲しいものが多かった。希望に満ち溢れた若者たちがこういった歌詞を好まない、理解できないのは無理もないだろう。
そこで彼らは日常的な出来事、つまり目の前に広がる太陽やコパカバーナの海岸、美しい女性、そして愛を題材にしたのだ。
歌唱方法に関しては、彼らの集まりが夜遅くマンションで開かれていたことから自然とギター1本と小さな声で歌うようになっていった話や、チャット・ベイカーに影響された話などがあがっているが、それまで録音機材の関係で歌手は声を張り上げて歌うのが一般的だったのに対し、時代と共にマイクなどの改良もあり、囁くような声で歌うという選択肢ができたことも関係しているだろう。
著者プロフィール
- 島田愛加
音楽家。ボサノヴァに心奪われ2014年よりサンパウロ州在住。同州立タトゥイ音楽院ブラジル音楽/Jazz科卒業。在学中に出会った南米各国からの留学生の影響で、今ではすっかり南米の虜に。ブラジルを中心に街角で起こっている出来事をありのままにお伝えします。2020年1月から11月までプロジェクトのためペルー共和国の首都リマに滞在。
Webサイト:https://lit.link/aikashimada
Twitter: @aika_shimada