World Voice

南米街角クラブ

島田愛加|ブラジル/ペルー

僕らはボサノヴァが歌われた「あの頃」をしらない

暫くしてボサノヴァを新鮮に思ったアメリカのジャズミュージシャンによって録音され、世界的に知られるようになった。
しかしながら歌詞は英訳され、彼らなりの解釈を通して発信されることが殆どであった。当時、日本に届くボサノヴァはこういったものが多かっただろう。
実際に日本ではボサノヴァの側面的な部分、つまり心地よいリズムのリラックスしたイメージがついたことにより、BGMに使われることが多くなった。

そしてボサノヴァはひとつのジャンルとして確立し、"J-popのボサノヴァカヴァー"などといった作品が生まれるようになる。
これは面白いことに本国ブラジルでは非常に珍しい事である。ブラジル人は歌謡曲のボサノヴァカヴァーをすることは殆どないと言っても良いだろう。なぜならば、ブラジル人にとってボサノヴァとは演奏スタイルではなく、これまで述べた背景も含めた一つの流行であるからだ。

ボサノヴァが流行った頃、ブラジル(特にミドルクラスの若者)は希望をもっていた。
「50年の進歩を5年で」と掲げたクビシェッキ大統領がブラジル内陸部の発展のために首都をブラジリアに遷す大改革を実施したことや、ワールドカップでの初優勝(ペレが活躍)、マリア・ブエノがウィンブルドン選手権にてダブルス優勝、アダルヒサ・コロンボがミスユニバースにて2位入賞など、ブラジル人の国際的な活躍も見られた。

ラジオやレコードによってアメリカや近隣諸国の文化を取り入れることができた彼らは、自分たちの表現あるいは青春の一部として音楽を生み出し仲間内に発表することを目的としており、元々、商業的にするつもりで作られたものではないと言われている。
若者たちだけでなく、既に音楽家として仕事をしていたジョビンや外交官で作詞家であるヴィニシウス・ジ・モライス、ジャーナリストのホナルド・ボスコリらを巻き込むことによって、注目を浴びるようになった。

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1958年ワールドカップ優勝の記念碑(Photo by Aika Shimada)

ボサノヴァの衰退は、希望に満ちていたはずのブラジルに陰りがみえた頃に始まった。
改革に莫大な資金を費やしたことによるインフレ、更にはクーデターによって軍事独裁政権時代が訪れると、音楽家たちも愛だの海だのと歌っている場合ではなくなり、プロテストソングを歌うようになっていった。

ブラジルにおいてボサノヴァは「あの頃」を思い出させる歌となっていったのだ。

もちろん、ブラジルのように貧富の格差が大きい国にてボサノヴァが全員に受け入れられていたものではないことも忘れてはならない。
海辺でボサノヴァが歌われる間も、丘の上(貧困層が暮らす場所)ではサンバが聴かれていたのである。

先日、農家で働いている19歳の男の子に「ボサノヴァってしってる?ジョビンってしってる?」と聞いてみた。
彼は少し首を傾げて「名前は聞いたことがあるような気がするけど...」と曖昧に答えた。
続けて私は今どんな音楽を聴いているのか彼に質問し、教えてもらった曲をその日の夜に聞いてみた。
そこには愛や海は存在せず、更に現実化したブラジルの日常(貧困や人種差別による葛藤など)がダイレクトに綴られていた。

経済は成長しているにも関わらず、貧富の差が縮まらないブラジル。
パンデミックにより景気が更に悪化したこの時代を生きる若者には「あの頃」を想像することも難しいのかもしれない。
しかしながら、ボサノヴァを聴いて育った世代が今日聴かれているような新たな音楽を生み出したことや、ブラジルの音楽を世界に広めるきっかけとなったことは心の片隅に入れておいてほしいと思った。

【今日の一曲】
ボサノヴァの先駆けになったともいわれる曲の1つであるディック・ファルネイのヒット曲。

 

Profile

著者プロフィール
島田愛加

音楽家。ボサノヴァに心奪われ2014年よりサンパウロ州在住。同州立タトゥイ音楽院ブラジル音楽/Jazz科卒業。在学中に出会った南米各国からの留学生の影響で、今ではすっかり南米の虜に。ブラジルを中心に街角で起こっている出来事をありのままにお伝えします。2020年1月から11月までプロジェクトのためペルー共和国の首都リマに滞在。

Webサイト:https://lit.link/aikashimada

Twitter: @aika_shimada

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