南米街角クラブ
【日本⇔ブラジル】栗のなる木は夢なる木 - 田中規子さん
新型コロナウイルスの感染者数が一向に減る気配ないまま、ブラジルはクリスマスを迎えることになった。
前回の記事にも書いた通り、ブラジルのクリスマスは賑やかに過ごすものだが、2020年はそういうわけにもいかなさそうだ。
12月に入ってから、今年のクリスマスと年末はどうするかと考えていた。 そんな時、サンパウロ州アチバイア市で栗園を営む友人の規子さんから「それならうちにおいでよ。」と声をかけていただく。
パンデミックの国境封鎖によりペルーから出国できない私をいつも気にかけてくれた規子さん夫婦と久しぶりの再会。私を含めても3人ならば感染対策も問題ないだろうと判断し、お言葉に甘えて栗園のお手伝いがてらお世話になることにした。
サンパウロから車で1時間20分程離れた所にあるアチバイア栗園(ポルトガル語名はSítio das Castanheiras)は、2013年に規子さんが一から始め、現在は定年退職された夫のヴィセンテさんと一人の従業員と計三人で運営している。繁忙期である今は収穫のために人手を増やしても休みがないほど忙しい。
数年前に栗園を訪ねた時より栗の木も大きくなり収穫量が増え、12月はじめから毎日のように降り続く雨で2メートルを超える雑草が生い茂っていた。「うちにおいでよ。」のあとに「栗園の仕事も沢山あるからさ!」とメッセージが入っていたことはあまり気にしていなかったのだが、到着してから本当に人手が必要だったのだとすぐにわかった。
アチバイア栗園、愛犬チビも元気に園内パトロール中(Photo by Aika Shimada)
栗園の始業は7時15分、全員でNHKのラジオ体操第一からスタートする。
私は生まれながらの夜型で早起きは大の苦手である(それ故にミュージシャンはぴったりだと思っていたのだが) 。
やっとの思いで起き上がり、ブラジル人従業員の完ぺきな体操を横目で見ながら腕を回す。
そういえば子供の頃朝のラジオ体操が大嫌いだったことを思い出しながらも、前夜に振った雨で湿った空気が鼻に入ると気持ちが良い。私とは反対に規子さんは朝型で、ラジオ体操の後半にあるジャンプを軽快に飛んでいる姿には圧倒される。
ラジオ体操後、それぞれの業務を開始する。
栗園では栗の栽培と収穫だけでなく、焼き栗や栗菓子の加工、栗拾いなどの観光農業、日本祭りなどのサンパウロ近郊のイベント出店(パンデミックの影響で現在は休止中)、そして配達販売を行っている。
配達販売は栗園の商品だけでなく、近隣農園の商品(有機野菜、自然派ドライフルーツやジャム、保存料を使わない肉製品)なども取り扱う。体にやさしく、地域や自然環境に配慮しながら同地区の農業を盛り上げていきたいという規子さんの願いから実現した。
配達販売を本格的にスタートしようとしていた頃に新型コロナウイルスによる外出自粛要請が発表されたため、開始当初から数多くの注文があり、夜遅くまで仕分け作業をすることも多かった。
確かにパンデミックの影響もあるかもしれないが、ブラジルでは珍しい焼き栗や栗をたっぷり使ったお菓子は、日本を懐かしむ日系人や日本人駐在員家族の間で話題になっている。信頼している近隣農園の商品も好評だ。
京都で生まれた規子さんが、なぜブラジルで栗園を始めることになったのか。
小さい頃から自然が大好きだったという規子さんは、高校時代に環境問題に関心を持つようになった。
NHKの『21世紀は警告する』という番組でアマゾンの熱帯雨林消失の問題を知ったことが大きく影響し、「環境問題は結果であって、原因である産業や農業の在り方を考えなければならないのでは」と考え、北海道にある酪農学園大学農業経済学科に進学。
より自然豊かな北海道に魅了され、大学時代は山登りばかりしていたそうだ。
山登り中に野生のヒグマに遭遇したことや、オフロードバイクで林道を走って事故に遭い松葉杖生活を送ったこともあると笑いながら話す。
山登りばかりと話していたが、卒業論文でアマゾン熱帯雨林消失のことを書くことは心に決めていたようだ。
1990年、大学4年生次の夏休み、その現状を自分の目で見に行くために単身ブラジルへ渡る。
今のようにインターネットでなんでも調べられる時代ではない。初の海外旅行先(しかも日本から最も離れた南米大陸)に旅行用のポルトガル語会話帳だけで乗り込んだ。
ブラジル旅行は目標を立てても、計画通りにはすすまない。
これはブラジルだけでなく、南米諸国の洗礼と言っても良いだろう。その代わりと言ってはなんだが、南米に吹く追い風に乗ることができると、物事は思った以上にうまくいったりする。
規子さんはまさにその風にのったように貴重な体験をした。
彼女の熱意が届いたのか沢山の出会いに恵まれ、現地の旅行会社の人に「危ないから一人で行くな」と止められていた場所も無事に訪問することができた。
訪問先の一つであったブラジル北部パラー州のトメアスーは、1929年に最初の日本人移民が到着してから、今でも日系人コミュニティがある街として知られている。
規子さんはそこで故坂口昇さんに出会い、アグロフォレストリー*に関する話を聞いたことに感銘を受け、帰国後に卒業論文を書き上げた。もっと研究したいという一心で、北海道大学大学院に進学。定期的にブラジル訪問を続けながら、博士号を取得した。
* アグロフォレストリーとは農作物と樹木を混作させる環境保全型農業で、トメアスーでは単一栽培していた胡椒が病害にあったことをきっかけにカカオを栽培した頃にはじまった
その後、委託研究員としてブラジルに派遣され国内の日系農家の調査を行う。
派遣元の事業撤退により退職した後は、年契約のコンサルタントとしてブラジルに残った。
契約が終わるころ、東日本大震災が起こったことをきっかけに「これまでの経験を活かせるブラジルで、後悔のない人生を送りたい」と思い、自身が研究員だったころにサンパウロ近郊の日系農家に勧めていた六次産業を実践してみることを決意。日系ブラジル人であるヴィセンテさんと結婚したことも移住覚悟に大きく背中を押したのは間違いない。
仕事には厳しい規子さんだが、ここまで全てが順調に進んだわけではなかった。
栗の苗の植え方や時期を間違い半分以上枯らしてしまったり、移動中に車が横転する事故に遭ったりと、失敗談も包み隠さず話してくれた。
周りには無茶だと思われるようなことも、失敗を重ねながら体当たりで前に進んでいる姿には人柄が現れている。
栗を選んだのは作業に季節性があり閑散期には研究やコンサル業が兼業できること、加工や観光農業に適していて、ブラジルでは珍しい母国日本の果樹という理由があるそうだ。
現在は人数を限定し、感染対策をしながら栗拾いと近隣農家での収穫体験のイベント再開も計画。都心から1時間20分程の場所でこういった農業体験ができることは貴重で、特に栗拾いは子供だけでなく大人も楽しんで参加している。
規子さんの頭の中は常に夢と新しいアイディアでいっぱいで、突発的なようにも思えることもあるが、実は全てが繋がっているからおもしろい。
晴れた日の朝、張り切ってトラクターを乗り回しながら2メートルを超える雑草を刈る規子さんの姿をみて、「栗栽培を通して豊かさを考え直したい」と自身の恩師への追悼集に書き綴った想いが現実になっているように感じた。
最後に...
私がブラジルに住んでからもうすぐ7年となる。
単身乗り込んだこともあり、到着後から日本から移住した日本人や日系人の方々には大変お世話になっている。
実際に規子さんにお会いしたのも、リベルダージで行われている日本の歌謡曲(主に演歌)を生演奏するバンドがきっかけだった。
日本とブラジルは距離的に離れているものの非常に深い関わりがあり、私はブラジル音楽に心奪われてブラジルへ来たのだが、日本の文化に関わることが日本に住んでいる時以上に増え、自分のアイデンティティをみつめ直す機会が多くなった。また、こちらで活躍している日本人の方々の意志の強さや前向きな姿にいつも勇気づけられている。
こういった体験を少しでも多くの人に共有したく、日本とブラジルに関する話を紹介をすることを数ヶ月に渡り構想しており、今回が記念すべき第一回目となった。
同時に、日本に魅了されているブラジル人の友人たちの紹介もしていきたいと思っている。
著者プロフィール
- 島田愛加
音楽家。ボサノヴァに心奪われ2014年よりサンパウロ州在住。同州立タトゥイ音楽院ブラジル音楽/Jazz科卒業。在学中に出会った南米各国からの留学生の影響で、今ではすっかり南米の虜に。ブラジルを中心に街角で起こっている出来事をありのままにお伝えします。2020年1月から11月までプロジェクトのためペルー共和国の首都リマに滞在。
Webサイト:https://lit.link/aikashimada
Twitter: @aika_shimada