南米街角クラブ
春を知らせる澄んだ空に消えた一つの命
リマの冬はどこか寂しい。
毎日のように海霧が発生し、太陽が殆ど出ずに家の中も冷え冷えとする。 一日中、変わりない灰色の空。更にはパンデミックの影響もあり、これが永遠に続くかのような気すらしていたが、9月17日、久しぶりに空が晴れた。
やっと春が訪れる。
ペルーの国内移動規制が緩和されたので、我々は契約以上に長居させてもらった音楽教室の住居から、プロジェクトメンバーの実家があるアレキパへ身を寄せることにした。
出発前日、少し離れたショッピングセンターまで足を延ばす。
衣料品の試着は禁止されているが、冬物のセール品を求める人が沢山訪れていた。フードコートやレストランでの飲食も可能になり、マスクを顎にかけた人たちが美味しそうに昼食をとっている。
ショッピングセンターを後にし、9ヶ月間過ごしたロス・オリボス地区のメイン通りを歩いて帰ることにした。 メイン通りに入ろうとした所で、遠くに大きな砂山が見えた。
海岸砂漠地帯であるリマの街を歩いていると、緑が全くない砂山がひょこっと現れることがある。
久しぶりの澄んだ空に現れた砂山を、リマの思い出にと写真に収めた。
数十歩進むと、多くの人が砂山の方を見上げたり、スマートフォンで写真や動画を撮影している。
私と同じように、久しぶりに現れた砂山に惹きつけられているのかと思ったが、様子がおかしい。
1分もしないうちに警察と消防車のサイレンがこちらへ近づいてくる。
不安になり、向こうから歩いてきた男性に尋ねてみた。
「若い男の子が高圧電線に登って、飛び降り自殺しようとしている。」
砂山に気を取られていて気付かなかったが、よくみると十メートルを超える高さの電線の上部に人影があった。
人々が撮影していたのは砂山でも澄んだ空でもなく、少年の様子だったのだ。
私は動揺し、ルートを変えてから撮影した砂山の写真をスマートフォンから削除した。
翌日リマを出発し、無事にアレキパに到着すると友人の家族が温かく迎えてくれた。
荷物の整理や旅の疲れもあり、あっという間に数日が過ぎ、少年のことも忘れかけていた頃に友人から「ロス・オリボスで飛び降り自殺をした少年のビデオがソーシャルネットワーク上に投稿され話題になっている。」と聞かされた。
亡くなったのは、高圧電線の先に小さくなって座っていたあの少年だった。
17歳の少年は精神的な病を患っており、今年3月にも同じ地区の電線に登って自殺を試みたが、駆けつけた母親や消防士に説得され、数時間後に救助されていたそうだ。
しかし、今回は悲しい結末となってしまった。
この傷ましい出来事は、ニュースだけでなく、SNSやメッセージアプリを通してビデオや写真と共に拡散され、多くの人が動画の削除依頼や共有を止めるよう呼びかけると同時に、SNSのガイドラインを見直すべきだと声をあげた。
あの日、スマートフォンで撮影していた大勢の人達を思い出して、何とも言えない気持ちなった。
スマートフォンで気軽に撮影ができるようになってから、視聴者に有害な影響をもたらすコンテンツまでリアルタイムに配信することが可能となってしまった。
なぜ人々はそういったビデオを投稿し、視聴し、共有するのだろう。
ただ「現実を伝えたい」と思っているだけなのだろうか。
視聴する人々は、興味本位で再生ボタンを押してしまうのだろうか。
これは少年のビデオだけに言えることではない。
近年、過激な報道や投稿が増え続けている。現実を伝えるのは重要なことであるが、投稿者と視聴者の間に討論が生じることも少なくない。また、アクセス数を増やすために大袈裟な表現や刺激的な写真を使うことも問題視されている。
これについて、友人たちと少し議論することにした。
ビデオを削除するべきだという意見は一致したが、議論していくうちに一人が「このビデオに問題があると言うけど、実際は多くの人が暴力的、差別的とも捉えられる情報を無意識のうちに共有している。」と言った。
友人は1994年にピュリツァー賞を受賞した「ハゲワシと少女」 というケビン・カーターの写真を思い出させた。
スーダンの状況を捉えたこの写真はペルーでも話題になり、多くの人が討論したそうだ。現実を伝えることの大切さも、捉える側によっては違った解釈になる。ケビンや同行者の証言も虚しく、「写真を撮る前になぜ少女を助けなかったのか」という抗議があがった。
人々が衝撃の強い写真を求めることにケビン自身も疑問を感じていたそうだ。彼は受賞式の数か月後に自ら命を絶った。
9月10日の世界自殺予防デーは、パンデミックの中であっという間に過ぎ去ってしまった。
「日本に比べると南米に自殺者が少ない」というのは、一昔前の話であり、実際にはただの統計結果でしかない。
こうしている間にも、世界のどこかで自らの命を絶とうとしている人がいることを忘れてはならない。
そして、SNSの在り方やガイドラインを早急に見直す必要があると言える。
【今日の1曲】 ブラジルは世界自殺予防デーと共に、Setembro Amareloと名付けて9月を自殺予防月間としている。サンバの作曲家Cartolaの「陽が昇る」というシンプルなメッセージが身に染みる。
著者プロフィール
- 島田愛加
音楽家。ボサノヴァに心奪われ2014年よりサンパウロ州在住。同州立タトゥイ音楽院ブラジル音楽/Jazz科卒業。在学中に出会った南米各国からの留学生の影響で、今ではすっかり南米の虜に。ブラジルを中心に街角で起こっている出来事をありのままにお伝えします。2020年1月から11月までプロジェクトのためペルー共和国の首都リマに滞在。
Webサイト:https://lit.link/aikashimada
Twitter: @aika_shimada