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南米街角クラブ

島田愛加|ブラジル/ペルー

リマの街中に流れる音楽は国境を越えてやってきた

平日の真夜中にサルサを踊る人たち(2020/03/04 筆者撮影)

前回の投稿で書いた通り、今日はペルーの首都リマの街の様子と好まれる音楽ついて書きたい。
リマ郡はセントロ(旧市街と新市街)、スル(南側)、ノルチ(北側)、エスチ(東側)の4つに分けることができる。
リマ郡の西側に位置するカヤオ特別郡(ペルー人の発音だとカイアオに近い)は別の行政区画だが、リマ郡と一括されることが多い。

私が滞在しているノルチは、地方出身者や移民が住み着いた地域で、今でも古き伝統が残るが、近年は大きな経済成長を遂げ、南米最大規模のショッピングセンターもある。
ペルーの伝統的な郷土料理や、中国移民から影響を受けたChifaと呼ばれるペルー風の中華料理のレストランが多く、三輪タクシーやライトバンの乗合タクシーが走る様子は東南アジアのような雰囲気もある。
ここでは主にクンビアと呼ばれるコロンビア生まれの音楽が好まれ、市場、バス、タクシーなどでは常にクンビアのラジオがかかっている。クンビアについては別の回で詳しく書きたい。

セントロは旧市街と新市街にわけられる。
植民地時代の建築が残る旧市街は、独立後に城壁が取り崩され、世界文化遺産となった。
リマの中心的な役割を果たすマヨール広場、ペルーの独立を宣言したSan Martínを称えたサンマルティン広場、大統領宮殿、大聖堂など、ペルーの歴史を知るには欠かせないスポットが沢山ある。

周辺にはBarrio chinoと呼ばれる中国人街、衣料品の問屋街や電気街があるため常に沢山の賑わう。
7月に外出規制が緩和されてから訪れた際も、人が溢れていた。唯一変わった事と言えば、道行く人がマスク姿になり、入場時に検温されたり手をアルコール消毒するように言われる程度だ。

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マヨール広場(2020/03/05 筆者撮影)

ノルチを含め、旧市街では道で許可なく物を売る人が絶えない。
法的には違法であり、この日も警察の見回りが近付く度に気づいた人が大声で知らせては、商品を持って全力で走り去る。こんなことを1日に何度も繰り返してでも物を売らなければならない程、ここで暮らす人々の生活は苦しい。
コロナ禍してからは道で商売する人は更に増えたように感じる。旧市街に繋がる大きな橋Puente Rayitos de Solでも多くのベネズエラ移民たちが橋の掃除をしながら支援を頼んでいる。

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道で物を売る人たち(Los Olivos, Lima 2020/09/05 筆者撮影)

大袈裟かもしれないがノルチからセントロの新市街に移動すると別の国のようだ。
新市街にあたる海岸沿いのミラフローレスは綺麗に整備され、代表的なデートスポットPuente de los suspiros(ため息橋)のあるバランコはお洒落なお店が立ち並び、三輪タクシーや一部の乗合タクシーも乗り入りを禁止されている。
治安対策も強化されているため、外国人観光客はこのエリアに宿泊することをすすめられるだろう。
街並みに見合ってお洒落なライブハウスやコンサート会場があるため、海外のアーティストが訪れることも多く、ロックやジャズなど海外の音楽を好む傾向があるそうだ。クンビアはあまり聴かれない。
これは音楽だけでなく、食に関しても似ているようで、ガイドブックに載るような高級レストランや多国籍レストランが立ち並ぶ。各国の大使館があるのもこの辺りである。

iStock-1169482467.jpgのサムネイル画像

上空から撮影したミラフローレス-iStock

冒頭で触れた特別郡カヤオの港町では意外な音楽が聴かれている。
太平洋に面したカヤオは、植民地時代から南米で主要な港であり、ヨーロッパだけでなくカリブ海からの貨物船も行き来していた。
リマの国際空港がある周辺は治安があまりよくないが、港町ならではの美しい景観や美味しいセビーチェ(魚のマリネ)が食べられるレストランも多い。
ペルー独立後、ヨーロッパや中米からの移民がこの港から入国し、彼らが持ち込んだ文化が混ざり合っていく。
そんな中、カヤオの人たちに特に受け入れられた音楽はカリブ海からやってきたサルサであった。
カリブ海の音楽も、アフロペルー音楽の誕生に似ている部分が多い。
ペルーと同じくスペインの植民地であったキューバに、奴隷として連れてこられたアフリカ人たちが自分たちの文化を忘れないために現地の音楽と融合したことがルーツとなっている。併せて、踊るのが大好きなペルー人にぴったりだったのだろう。
そんな背景からか、カヤオではキューバやプエルトリコからやってきた移民や滞在者によってサルサが盛り上がり、行政もそれを認め、街をあげての大規模な国際フェスティバルが毎年開かれる程となった。
フェスティバルだけでなく、カヤオではどこからともなくサルサが流れてきては街の人々が踊りだすそうで、まるで映画のワンシーンのような場面に出くわすことも少なくないとか。
近年ではペルー独自のサルサも誕生し、国外でも聴かれる程になっている。踊り方もペルーと中米では若干異なるようだ。

カヤオは今日でもサルサのメッカとして、海外からも多くのアーティストを迎えている。
中でも、70年代のニューヨーク・サルサ全盛期の中心で活躍した歌手の一人であるHéctor Lavoeはカヤオをとても気に入り、長期に渡り滞在したそうだ。
米西戦争によってスペイン領からアメリカ領になったあとのプエルトリコに生まれたLavoeは、より良い生活を求めてニューヨークへ渡った。 当時のニューヨークではキューバを中心とするラテン音楽が人気を博しており、彼は得意の歌を生かし、若くして名声を手にしたのだった。
しかし、その重圧なプレッシャーに耐えられなくなったLavoeは、酒とドラッグに溺れ、自殺未遂を起こし、最後はエイズを発症し46歳という短い生涯をとじた。
波乱万丈な音楽人生を過ごした彼だったが、大歓声の中で迎えられたペルーを気に入り、カヤオの向かいに浮かぶサンロレンソ島を購入したいと言っていた程だった。
Lavoeの音楽は彼の歌唱力はもちろん、歌詞、アレンジ共にカヤオをはじめリマのサルサファンに愛され、カヤオには彼の記念碑と壁画もある。

ブラジルを除くスペイン語圏の中南米では、このように国境を越えた互いの音楽を好んで聴くことは当たり前のことである。
プエルトリコ出身、ニューヨークで名声を得た歌手が、ペルーの重要な港町に記念碑が作られる程に愛されるとは、なんとも微笑ましい話である。

【今日の1枚】
Héctor Lavoeの代表作。2006年には同タイトルでLavoeの生涯を綴った映画が公開された。ジェニファー・ロペスら制作の元、当時彼女の実生活の夫であった歌手のマーク・アンソニーがLavoe役を務めた。

 

Profile

著者プロフィール
島田愛加

音楽家。ボサノヴァに心奪われ2014年よりサンパウロ州在住。同州立タトゥイ音楽院ブラジル音楽/Jazz科卒業。在学中に出会った南米各国からの留学生の影響で、今ではすっかり南米の虜に。ブラジルを中心に街角で起こっている出来事をありのままにお伝えします。2020年1月から11月までプロジェクトのためペルー共和国の首都リマに滞在。

Webサイト:https://lit.link/aikashimada

Twitter: @aika_shimada

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