パリのカフェのテラスから〜 フランスって、ホントはこんなところです
歴史的大混乱と評されるパリ・国際農業見本市の行方
国際農業見本市(Salon de l`Agriculture)は、毎年、パリで行われているフランスを中心とした農業・農業製品の祭典で、フランス人には人気の催し物の恒例行事で約1週間にわたって(今年は2月24日から3月3日まで)50万人ほどの観客を動員すると言われている大イベントです。
大きな会場には、フランス各地から、牛や豚や羊などの動物もやってきて、その加工品であるチーズやワイン、フォアグラやパテなど農業製品が販売されており、家族ぐるみで楽しめることから、大人気のイベントの一つです。
しかし、今年は、年明けから起こっている農民たちの怒りの抗議運動がくすぶり続けている中、農民たちがこの場で再びなにか、事を起こすことは、明らかであり、政府はどちらかといえば、しらっとした感じで、この国際農業見本市の開催を宣言しており、素人の私でさえも「大丈夫なのかな?」と思っていました。
マクロン大統領 VS 農民たちのバトル
すでに1月から2月にかけて、大騒動になっていた農民たちの抗議運動は、途中、首相がいくつかの改革プランを農民に提示したことで、少し弱まりかけたかに見えていたものの、農民たちにとっては、到底、充分な回答ではないうえに、実際に改革されるまでに、あまりに時間がかかり過ぎることに到底、承服できるものではなく、また、この「国際農業見本市」という大イベントという彼らにとっては、絶好の集結の機会があることを彼らは見込んでいたと思われます。
案の定、この見本市の開催前日になると、いつからどこからやってきたのか、パリの街中の道路には、農業用トラクターが行進していく様子が見られ、これは、大変なことになりそうな予感を誰もが感じたはずです。
当然、農民たちにとっては、今回の国際農業見本市は、抗議運動の絶好の場でもあったわけで、そんな動きを感じ取っていたマクロン大統領は、この見本市初日の朝にFNSEA(全国農業経営者組合連合会)との大討論会を行うことを発表したのです。しかし、この大討論会には、農民たちだけではなく、環境保護団体や大規模流通団体なども招待されていたことから、農民たちは「政府は農民たちを挑発した!」と大激怒。彼らの怒りに火をつけてしまいました。
農民たちにとってみれば、環境問題に対応するために制定された厳しすぎる農業規制に苦しみ、また、これらの規制には準拠していない製品が大量に安価な値段で海外から輸入されてきていることがさらに彼らの首を絞めているのですから、環境保護団体や流通業界の団体と同席して大討論会などとは、政府は自分たちを丸め込もうとしていると受け取るのは、当然のこと。マクロン大統領がもし、彼らを丸め込もうとしていたなら、もってのほかですが、なだめるつもりで大討論会を開催しようとしていたとしたら、政府はまるで現在の農民たちの状況・気持ちを理解していないことが明白になったようなものです。
FNSEA(全国農業連合組合)は、この大討論会への参加を拒否。政府は慌てて、この環境保護団体や大規模流通団体への討論会への招待を取り下げましたが、時すでに遅しで、討論会は立ち消えになったかに見えました。
この国際農業見本市開催初日は、朝から農民たちがこの会場に押しかける大騒動になり、一般開場ができない事態に陥りました。会場は、民間のセキュリティ会社が警備を担当しているうえに、警察や憲兵隊まで警護する事態になり、この騒ぐ農民たちの怒りは燃え上がる一方で、その厳重なはずの警備の隙をついて、農民たちが会場になだれ込み、集結して騒ぎはじめ、「マクロン辞めろ!」の大合唱。とうとう、会場内の展示施設の一部を壊してしまう場面まで現れ始めました。開場を待つこの見本市を観覧に訪れた一般市民もどんどん膨れ上がり、カオス状態になりました。
そもそもこの会場の前には、各地から到着している地域名の入ったパネルを逆さに掲げている大型農業用トラクターが何台も並び、そのうえ、藁の束がつみかさなっていたり、砂袋が積んであったりと、およそパリにはあり得ない珍しい光景が広がり、それはそれでパリ市民には珍しいもので、その前で記念写真を撮っている人々もたくさんいました。
当日、会場前の午前8時には、マクロン大統領はすでに会場に到着していた模様で、この混乱では、一般公開できないと判断し、とうとう農民たちとの対決の場に1人で挑むことになったのです。
それは、討論会と呼ぶのには、そぐわないような光景で、言うなら、一見すれば、囲み取材のような絵なのですが、膝と膝を付け合わせてというには、あまい感じで、言いようによっては、農民たちがマクロン大統領を囲んで吊るし上げているようにも見える図で、この一人一人の距離と言い、一国の大統領が怒り狂っている彼らと一人で話し合おうとしているのですから、ちょっとハタ目から見ても、ドキドキするような光景です。この大勢の農民たちとどうやって話しを進めていけるのか?農民たちが求めていることは、さんざん聞いているとはいえ、彼らにもマクロン大統領にも原稿などは、まるでありません。SPの人たちが後ろに控えているとはいえ、こんな至近距離で1対50くらいで闘わなければならないわけですから、さすがに弁がたつマクロン大統領とはいえ、大ピンチです。
この時、マクロン大統領は、「とにかく彼らをなだめてこの見本市の一般公開を開場しなければならない」という意識が一番であったと思われますが、それにしても、いくら自分が地雷を踏んでしまったとはいえ、この吊るし上げのような場面に1人で応じるというのは、大変な勇気であったには、違いありません。
私は、こんなことが起こっているとはつゆ知らず、たまたまテレビをつけたら、このマクロン大統領 VS 農民のバトルを生中継していて、「うわっ!すごいことになってる!」と思わず、テレビに釘付けになったのですが、まあ、一時は、これが永遠に続くのではないか?と思われるほど、この話し合いは2時間ほども続きました。
マクロン大統領は、「この見本市は、私にとってもフランス人にとっても、そしてあなた方にとっても誇らしいものであるはずだ!それを台無しにする破壊行為は何があっても許されることではない!」と述べ、また、「私はいかなる質問もはぐらかさない!」と断言し、一人一人の話を時には、メモをとりながら、また、時には反論しながら、「政府はすでに動き始めている!」、「これについては、このような対応をしていくつもりだ・・」、というようなことを一つ一つ答えて、「どうか私を信じてください!」というのですが、信じていたのに、裏切られた結果が今の現状を招き、苦しんでいる農民たちにとっては、「信じてください!」などという言葉は響きません。
とはいえ、農民たちは、マクロン大統領ほどに議論に慣れているわけでもなく、「とにかく政府のやろうとしていることには時間がかかり過ぎる!私たちはもう限界なんだ!早くしろ!」、「ウクライナには30億ユーロも支援するのに、自分たちにはパンくずのようなものしか与えないのか!」などという声が上がります。
結局、マクロン大統領は、その場で国内及び欧州圏内での農業分野ごとの農産物の下限価格を設定すること、そして、政府は期限を区切り、「3週間以内にすべての労働組合とすべての組織を集め、何が行われてきたのか?また、何が行われてこなかったか?を評価し、農業保護計画を立てること」を農民たちに約束しました。この模様は生中継されているわけですから、全国民に向けて約束したようなものです。
その場で全ての問題に解決が付くとは思っていない農民たちは、結局、その場は、それで解散となり、なんと4時間遅れでマクロン大統領は、この見本市の開会式の開会テープにハサミを入れたのです。
結局、その日、マクロン大統領は、この見本市の会場を廻り、多くの農民たちや、生産業者などと接し、時には彼らの製品を試食したりしながら、一日中、会場に留まり、なんと滞在時間13時間をその場所で費やしました。中途半端に会場を去れば、逃げたと思われることは必須だったとはいえ、大変な労力とエネルギーです。
この農業危機の問題は、フランス国内の在り方だけではなく、欧州全体、あるいは、多くの農産物をフランスに輸出している国にもかかわる大問題で、この日のマクロン大統領と農民たちのバトルによって、全てが片付くような簡単な話ではありませんが、少なくとも、混乱が起こり、多少、荒療治であったとしても、国民が怒りをぶつけ、当初、政府が意図していたカタチではなかったとはいえ、大統領一人でそれに真摯に耳を傾けてくれる様子が全国で生中継され、少しでも改革する方向に向かっていこうとしているところは、日本には、ないことだな・・と感心させられるところでもあります。
この国際農業見本市は、今年で60周年を迎えた記念すべき年、今回の見本市はまた別の意味で歴史的な国際農業見本市となったと評されています。
著者プロフィール
- RIKAママ
フランスって、どうしようもない・・と、日々感じながら、どこかに魅力も感じつつ生活している日本人女性。日本で約10年、フランスで17年勤務の後、現在フリー。フランス人とのハーフの娘(1人)を持つママ。東京都出身。
ブログ:「海外で暮らしてみれば・・」
Twitter:@OoieR