悠久のメソポタミア、イラクでの日々から
トルコとイラクのクルド人地域:微妙なバランスで成り立つその関係性
ロシア軍によりウクライナ侵攻が開始し3日が経ちましたが、ここイラクのクルド自治区でも悲しいニュースが伝えられています。
報道によれば先週金曜日のキエフ市内に対するロケット弾攻撃で、中部キルクーク出身のクルド人留学生が亡くなったと見られており、イラク政府も情報収集を進めています。
ウクライナには約5,500人のイラク人が滞在していると見られており、イラク外務省も自国民に対してウクライナからの退避の呼びかけを行っています。
違憲とされたトルコへの石油・天然ガス輸出プロジェクト
今回はイラクのクルド自治区と隣国であるトルコの関係性、特に経済的繋がりについて最近再注目される出来事があり、それを解説したいと思います。
発端となったのは2月半ば、2012年から続いていたクルド自治政府とイラク中央政府の間であった、クルド自治区内の石油・天然ガスの利権問題でした。10年近く続いていた法闘争の末にイラク最高裁は「クルド自治政府が中央政府石油省の権限の外で天然資源の取引を行うことは違憲である」と判決を下したのです。
イラク戦争後、ほぼ完全な自治権を得たクルド自治政府は2007年に自治政府議会にて自治政府が域内での天然資源採掘と取引を可能とする法律を制定。2005年に現行のイラク憲法が制定されて以来、中央政府と自治政府間での天然資源の扱いの法的な取り決めがされてこなかったことが何度も両者の関係性を悪化させてきました。
クルド自治政府が昨年11月に出したレポートによれば、2021年の上半期だけで自治区内で8,000万バレルもの石油が生産され、17億ドルの歳入になったと見られています。(実際はもっと生産しているはずなのですが、汚職による中抜きがひどく正確な生産量は分かっていません)
そしてそのクルド自治区内で生産された天然資源の主な輸出先はトルコとなっています。
イラク戦争直前の2002年に初めて関係構築を始めた両政府。自治政府が法を制定した2007年以降、クルド自治政府はトルコとの経済的な協力関係を強めることで、将来的に隣国イランやシリア、最終的にはイラク中央政府といった「脅威」から守るための政策を進めてきました。
2012年にイラク中央政府との協定が失効した後、トルコはクルド自治政府と「勝手に」天然資源供給の協定を締結。2014年に新たな石油パイプラインがあっという間に完成し今日までトルコの地中海の港湾都市ジェイハンに向け供給され続けています。
石油に加えてトルコとしては近年、天然ガスの50%近くを依存しているロシアとの関係悪化を案じてその依存度を下げることを試みています。イラクのクルド自治区からの天然ガスは重要な供給源の一つと目されており、トルコの会社も開発に乗り出しています。
その証拠に、イラク最高裁の判決が出た直後にトルコのエルドアン大統領が声明を発表。クルド自治区の天然ガス開発とトルコへの供給継続のため、イラク政府とWin-winになるような協議を続ける用意があると述べています。
トルコによるクルド人組織に対する越境空爆も
「トルコとクルド人」と聞くと、犬猿の仲であるかのような印象を抱く人もいるかと思いますが、現実はもっと複雑なものです。
事実、近年改善の方向性も見られているとはいえ、トルコ国内でクルド人やクルド文化に対する締め付けもありますし、トルコ国内におけるクルド人の自治を求めるクルディスタン労働者党(PKK)との戦闘はいまだに起きています。最近は隣国のシリア北部のPKK傘下にあるクルド人勢力への攻勢をまた強めており、イラクのクルド自治区でもその被害は毎日にように報道されています。
さらには、イラク国内のPKK傘下勢力に対する空爆も一昨年から激しくなっていることも以前に紹介しました通りです。
トルコとしては上記のクルド自治区との経済的な繋がりを強めることで、敵対するPKKとの戦闘にクルド自治政府を利用しようとする思惑もあります。
共産主義を標榜するPKKとクルド自治政府のイデオロギーの違いも大きい理由であることは間違いないでしょう。しかしクルド自治区内でトルコ軍がPKKを空爆するという一見主権の侵害を犯してもクルド自治政府がトルコを非難することはほとんどありません。例えそれで民間人が犠牲になったとしても、経済的な繋がりからトルコに口出しができなくなっている様子が見て取れます。
このクルド政治家たちによる「自民族への裏切り行為」に、地元市民の鬱憤が溜まっていることもまた事実です。
政治、経済、市民感情の微妙なバランス
クルド自治政府としては、トルコは域内で孤立しないためのパートナーとなり得る存在。
経済的な繋がりも特にクルド自治区側がトルコに対し依存しており、多くのトルコ籍の会社がクルド自治区の開発にも着手。また中産階級以上のクルド人にとっても、トルコは比較的簡単に渡航ができる場所として休暇を過ごすための欠かせない場所となっています。このクルド側の依存関係により、トルコとしては軍事面でクルド自治区領内であっても敵対するPKKに対して有利な立場に立つことができています。
しかし市井のクルド人の市民感情は複雑なものがあります。実際、クルド人アイデンティティで繋がるシリアやトルコのクルド人がトルコ国家や軍の暴力にさらされていることは日常の中で頻繁に伝えられています。
事実、2019年にトルコがシリア北東部に侵攻しクルド人勢力と戦闘が起きた際にはここイラクのクルド自治区でも大きな反トルコデモに発展。数万人のクルド人難民がシリア側から新たにクルド自治区内に到着する中で、しばらくの間はトルコ製品の不買運動も起きました。
しかし生鮮食料品をはじめ、多くの生活必需品をトルコ製品に依存しているために、トルコとの経済的な繋がりはクルド人の市民生活にも欠かせないものです。さらにこれは私の中でも意外だったが、トルコへの移住に憧れトルコ語の勉強を頑張る若者も少なからず存在していることでした。
クルド自治区で仕事がない中、トルコ語を話せるようになりトルコの会社に就職することが、イラクのクルド人にとっての生存方法なのかと、少し複雑な気持ちになりました。また「腐敗したクルドの政治家よりもトルコの方がまだマシだ」と外国人である私に話す現地の友人もおり、クルド自治区内の政治経済状況もこの複雑な関係に寄与していると感じています。
このように、トルコとイラクのクルド自治区の関係性は、政治、経済、そして市民の感情の間で微妙なバランスを保ったまま今日も続けられています。
著者プロフィール
- 牧野アンドレ
イラク・アルビル在住のNGO職員。静岡県浜松市出身。日独ハーフ。2015年にドイツで「難民危機」を目撃し、人道支援を志す。これまでにギリシャ、ヨルダン、日本などで人道支援・難民支援の現場を経験。サセックス大学移民学修士。
個人ブログ:Co-魂ブログ
Twitter:@andre_makino