中東から贈る千夜一夜物語
シリア人への暴動に垣間見えたトルコ国内でのシリア難民問題の深さ
トルコの首都アンカラでシリア難民への大規模な暴動が発生しました。きっかけとなったのは、つい数日前 (2021 年 8 月 11 日) に起きたトルコ人の刺殺事件。シリア人がトルコ人の 18 歳の若者をナイフで切りつけ、病院でこの若者の死亡が確認されました。
この事件をきっかけに、この日の夜に何百人というトルコ人が大挙してシリア人経営のお店や家や車を襲撃し、窓ガラスをたたき割り、車を横転させ、徹底的に破壊しました。その様子が Youtube にも幾つかアップロードされていますので、1 つをご紹介します。
もちろんこの暴力行為に対して警察が出動し、破壊行為に携わったとして 70 名ほどのトルコ人が拘束されました。シリア難民支援に携わるトルコ赤新月社の代表ケレム・クヌック (Kerem Kınık) 氏は、自身のツイッターで以下のように呼びかけました。
Hangi töremizde gece vakti insanların evlerini taşlamak var? Bu davranışlar ne hukuka ne ahlaka ne insanlığa sığar? Yapmayın
夜中に人々の家に石を投げつけるなどという行為は、私たちの文化の一部なのか? こうした行為は、法的・道徳的・人道的なのか? やめるべきだ。
とはいえ、シリア人への負の感情は今に始まったことではありません。トルコでシリア人は残念ながら「嫌われ者」。この長く鬱積している負の感情が表面化した一例といえます。
トルコとシリア難民との関わり
トルコほどシリア難民を受け入れている国はほかにありません。トルコには 2019 年の時点で 360 万ほどのシリア難民がいるといわれていました(UNHCRの報告) 。とはいえ、実際の数はもっと多いのではないかと思われます。登録されていないシリア人たちが多くいると思われますし、さらに現在でもシリアからトルコに違法な手段で入ってくるシリア人が後を絶ちません。
トルコはシリアと 910 キロにも及んで国境を介しているので、シリア内戦に伴い、難民がまず押し寄せたのはトルコ。シリア難民たちが目指すのはヨーロッパ (特にドイツ) でしたが、2015 年にシリア難民がトルコを経由してヨーロッパに大挙して渡った「難民危機」をきっかけに、2016 年に「EU・トルコ難民協定」が結ばれました。協定の大きな柱は、シリア難民をトルコが受け入れる代わりに、EUから金銭的な援助を受けるというものです。
これにより国境の警備が強化され、ヨーロッパに渡るシリア難民の数は劇的に減りました。通過地点でしかなかったトルコにとどまらざるを得ないシリア難民たちとそれを受け入れざるを得ないトルコ人。どちらの側にも受難の時が始まりました。
トルコ側は、EUが難民問題を結果としてトルコ任せにしており、合意した資金援助も滞っていることなどへ不満を抱いているのが現状です。トルコとしては、難民を一手に引き受けることになり、そのしわ寄せとしてトルコの経済が極度に圧迫されていると主張しています。
さらに最近ではアメリカ軍のアフガニスタン撤退により、アフガニスタン難民がトルコに大挙して押し寄せる事態になっており、まさに難民で溢れかえっているのがトルコの現状。こうした中で、難民に対するトルコ人の風当たりは強くなる一方です。アフガニスタン難民に関してはまだ新しい進展であるために、政府内で対応が協議されています。やはり一番大きな問題はシリア難民問題です。
トルコ国内で高まるシリア難民排除の声の背景
シリアの内戦が始まった 2011 年からはや 10 年が経ちました。シリア難民が大群をなしてトルコに押し寄せてきたのは 7、8 年前。この 7 年 8 年という年月は短いようでいて非常に長い期間ともいえます。
シリア人の存在によってトルコ人の職の機会が奪われている、物価が上昇している、家賃がうなぎ登り...など、経済的な問題がよく取りざたされます。トルコ経済はかつてないほど疲弊しています。ですからその不満の矛先が難民たちに向くのは自然なことといえるかもしれません。これはどの国にも起こりえることです。
ただ、こうした問題以外にも「トルコの国益になっている」といわせることができなかった別の理由がシリア難民にあるように思えます。その幾つかに触れたいと思います。なお、シリア人とひとくくりにしてもその生き方は千差万別。この記事では一般的な状況について触れていますが、例外もたくさんあります。
1. テンポラリー・レジデント (一時的居留者) という甘え
シリア人にとって、トルコへの避難はごく一時的なもののはずでした。1-2 年もすれば政情不安は収まり、国に帰れるだろうと大多数のシリア人が思っていました。あるいは、ヨーロッパを目指すシリア人たちにとってはトルコは単なる通過地点。ですからトルコ語を学んだり、トルコの文化に溶け込んだりする努力を払わなかった人が多くいます。
あと数か月もしたらヨーロッパに渡れる、あと 1 年したらシリアに帰れる...という風にどっちつかずの状態で時間だけが無為に流れ、結局 7 年 8 年という年月が経ちました。8 年経ってもトルコ語がほとんど話せないシリア人のほうが多い。トルコ人からしてみたら、「いったいあなたはこの長い期間、何をしていたの?」となるのも理解できます。
2. アラブのコミュニティに埋没しがちなシリア人
さらにアラブはアラブのコミュニティに依存しています。もともとが部族社会のアラブ世界。新しいもの・自分とは異種のものを受け入れることが苦手。
とはいえ、これはシリアの中でも、どの地域から来たかによって人々のキャラクター (特性) が大いに異なります。一概にはもちろん言えませんが、首都のダマスカスから来たシリア人にはオープンマインドな人が多い。反対にアレッポやその近隣の町々から来たシリア人たちはかなり保守的で、より殻にこもる傾向があります。もちろんその人の家庭環境にもよるので、ステレオタイプ化することはできませんが...。
言いたいことは、シリア人の一般的な傾向としてトルコ人と積極的に関わるよりは、アラブのコミュニティだけと関わりながら生活する人が多いということ。ですから、トルコ人とシリア人との間に壁ができるのは必然。トルコ人は基本的に心根がいい人たちなので、こちらが心を開きさえすれば受け入れてくれます。この努力は、トルコ人ではなく押しかけてきた側の私たち外国人が払うべきもの。アラブのコミュニティに埋没しているシリア人は、意図せずではあるもののこの努力を払ってこなかったといえます。
著者プロフィール
- 木村菜穂子
中東在住歴17年目のツアーコンサルタント/コーディネーター。ヨルダン・レバノンに7年間、ドイツに1年半、トルコに7年間滞在した後、現在はエジプトに拠点を移して1年目。ヨルダン・レバノンで習得したアラビア語(Levantine Arabic)に加えてエジプト方言の習得に励む日々。そろそろ中東は卒業しなければと友達にからかわれながら、なお中東にどっぷり漬かっている。
公式HP:https://picturesque-jordan.com