トルコから贈る千夜一夜物語
アラブの裏の顔 - 被害者が加害者にもなり得るという現実:アラブ世界の「現代の奴隷制度」を考える
中東における「現代の奴隷制度」の行方は?
ヨルダンの非政府団体 Tamkeen の 2019 年 9 月の報告によると、ヨルダンには 2019 年の時点で 190 の斡旋業者があります。そして、そのうちの 70% がメイド虐待の根本的な原因となっているということです。メイドから虐待の報告を受けても隠蔽したり、何もせず元の雇用主に送り返したり、あるいは虐待の被害者のメイドを別の雇用主にたらい回しにしたりなど、非人間的な扱いを続けています。ヨルダン政府はさらに断固とした措置をとることを決めています。ですから、少し前に触れた通り、ヨルダンでのメイドの待遇は改善していますし、これからも改善することが見込まれます。
サウジは今年 2021 年 3 月にカファーラ制度の廃止を発表しました (アルジャジーラの記事を参照)。30 代の若い君主であるムハンマド氏は女性の自動車の運転を認めたりなど、いわゆる「改革」を推し進めています。このカファーラ制度の廃止もその「改革」をアピールする手段の1つといえます。
とはいえ、長年アラブ社会に息づいてきたこの制度の廃止はそう簡単にはいかないはず。実際、今でもサウジのアラブ女性たちが男性の許可なしに何かを行うことは簡単ではない。ですから、サウジ女性より立場が断然低い外国人労働者たちにこのカファーラ制度が当てはまらないというのは、頭では分かっていても感情的には受け入れ難いことかもしれません。アラブお得意の口だけで終わるのか、それとも労働者たちの労働環境や権利が本当に保証されるのか‥もう少し時間が経たないと分かりません。
またこのカファーラ制度を廃止すると公に発表したのはサウジだけで、他の湾岸諸国は追随していません。ヨルダンやレバノンも同じく、このカファーラ制度の元に外国人労働者を迎え入れています。
なお湾岸エリアに負けず劣らず悪評高いレバノンは、2019 年の経済破綻により、中流階級が貧困層に転落しています。レバノンでは、今や国民の 50% (ある説によると70%) が貧困層だと言われています。ですから、外国人労働者を受け入れるどころではなくなっています。むしろこれまでさんざん搾取してきた労働者たちを追い出しています。
レバノン人がメイドたちをゴミのごとく道路に捨てている映像が France 24 の記事に載せられています。パスポートも返さず、お給料も支払わず、必要がなくなれば道路に置き去りにする...。とことんひどい扱いです。制度の改革はないにしても、外国人労働者が入ってくる機会はレバノンに関しては限りなく低くなっています。これにより被害の数は必然的に少なくなっているはずです。
中東の「現代の奴隷制」を実際に見た筆者の体験
私はヨルダンに行くまではもちろんアラブ世界のこの裏の顔を知りませんでした。アラブの本質を知ったのはヨルダンで、言葉が分かり始めてから。ヨルダンではその当時フィリピン人やスリランカ人のメイドさんを雇っているアラブの家が多く、週末にお休みをもらえる住み込みのメイドさんたちやフリーとして幾つかのアラブの家を曜日ごとに掛け持ちしている女の子たちが街に繰り出していました。そんなフィリピン人やスリランカ人と仲良くなり、彼女たちの話を通して聞くアラブの裏の顔は本当に衝撃的でした。
あるスリランカ人の住み込みのメイドさんは、トイレ掃除の時にブラシも手袋も与えてもらえず素手で汚い便器を洗わされたり、あるフィリピン人のメイドさんの場合は、雇い主のアラブ男性が嫌がらせでトイレをわざと汚く使い、あちこちに尿を振り撒くなど...常識ではあり得ませんが、アラブ世界では十分あり得る話を散々聞かされました。
それでも、私が仲良くしていたのは、週末の外出が認められていたり、携帯を持つことができていたり、あるいは最初は住み込みだったものの、契約終了後にフリーランスに転向することができた人など、メイドの中でもまだかなり恵まれた立場にいる人たちでした。住み込みで働いていて密室で虐待されているようなメイドさんにはそもそも外で会う機会がありません。全ての接触を断たれたこうした虐待の被害者たちは、誰からの助けを得ることもできないままでいることが多いのです。
こうしたアラブの恐ろしい一面を初期に知ってしまったこと、そしてアラビア語が少しずつ理解できるようになってアラブのメンタリティが分かるようになり、日常生活や職場で私もアラブの言動から被害を受けることが多くなったこと...などで、それからはアラブへの憤りや怒りの方が大きくなっていきました。
思い返せばヨルダン時代の 1 年半から 2 年半頃が精神的に一番大変だったと思います。そんな怒りに燃えている時にツアーの仕事でお客様のアテンドをしたことがあります。自分がヨルダンに愛想を尽かしているので、お客様にヨルダンのポジティブなことなんて話せない。アラブのネガティブな面ばかりがどうしても口から出てしまう...。このお客様には本当に申し訳ないことをしたと思います。まだプロ意識に欠けていた頃です。お客様にヨルダンの現実を知っていただくという意味では良かったかもしれませんが、夢を与えるという面では大失敗のアテンドでした。私のツアーコンサルタント人生の中でもトップクラスの苦い思い出です。
そんなアラブへの怒りと失望でやるせなさを感じていた時期を何とか抜け出すことができたのは...、やはりそれもアラブのお陰だったのです。ヨルダンを去ってレバノンで心機一転、新しい生活を始めたことも良かったと思います。レバノンでもプライドの高いレバノン人に囲まれて頭の痛いことはいっぱいありましたが、私が住んでいたのは中流階級層よりも下の (どちらかといえば貧困層に近い) 庶民的なエリア。
そんな下町のようなエリアでたくさんのアラブの友達ができ、愛情をたくさん受けました。特にレバノンで心と心が通う人間関係を最初に築けたアラブはシリア人でした。もちろんシリア人と一言で言っても、いろんな人がいます。ダマスカスとアレッポではシリア人でも性質が大いに異なります。でも全体としていうと、シリア人には素朴な人が多い。
そんなわけで、泣かされるのもアラブ、慰めてくれるのもアラブ。傷つけられるのもアラブ、癒してくれるのもアラブ。そんな風にアラブ世界にどっぷり浸かりながら、闇の部分と光の部分の両方を理解し、ありのままを受け入れていく...そんなプロセスの中で、アラブへの不思議な愛おしさが生まれました (中東に眠るダイヤモンドの原石という記事で筆者の思いを綴っています)。
レバノンでの 1 年半の生活を経て、その後再びヨルダンに戻りました。この頃には私の心にアラブへの温かい愛情が生まれていたので、アラブ世界で暮らすことが心地よく感じられ、たくさんのアラブの友達とさらに温かい関係を築くことができました。
アラブ世界の「現代の奴隷制」に目を向ける理由
この記事を書いたのも、アラブの闇の部分を暴いてアラブを悪者にしようと思っているからではありません。実際、日本でもベトナムなどからの外国人技能実習生への心ない扱いが問題になっています。スリランカ人の女性が必要な治療を受けさせてもらえず、名古屋出入国在留管理局で亡くなったことも報告されています。
過酷な労働、長時間勤務、安月給、お給料の未払い‥規模は小さくても、結局アラブ世界と同じことが行われているのではないでしょうか。ですからアラブ世界の現代の奴隷制に眉をひそめる前に、日本で起きている現実に目を向けることも必要かと思います。
また、最近目にしたとある新書の宣伝で「アラブ世界には自殺もいじめもない」というような内容のものがありましたが、アラブ世界の裏の顔を知らずにいると惑わされることになります。アラブときちんと付き合うためには、アラブ世界の二つの顔をきちんと理解しておくことが必要なのではないかと思います。そしてその「二つの顔」とは、なにもアラブ世界だけに限られたことではなく、闇と光の部分を併せ持つ人間の本質でもあると思います。
著者プロフィール
- 木村菜穂子
中東在住歴17年目のツアーコンサルタント/コーディネーター。ヨルダン・レバノンに7年間、ドイツに1年半、トルコに7年間滞在した後、現在はエジプトに拠点を移して1年目。ヨルダン・レバノンで習得したアラビア語(Levantine Arabic)に加えてエジプト方言の習得に励む日々。そろそろ中東は卒業しなければと友達にからかわれながら、なお中東にどっぷり漬かっている。
公式HP:https://picturesque-jordan.com