イタリアの緑のこころ
物も人も大切に、ペルージャ伝統企業の今むかし
二世代住宅の我が家には、1960年代に購入したのに、今も運転して使えるチンクエチェントと、まだ機能している冷蔵庫があり、半世紀以上も前に作られた自動車や冷蔵庫が、今もまだきちんと使えることに驚いています。
かつては車も冷蔵庫も、大枚をはたいて購入しなければならず、製造する企業も一生使える財産として作っていたのでしょう。1960年代には、工場労働者の平均月収が6万リラ、フィアットのチンクエチェントは51万5千リラ、1970年代には、工場労働者の平均月収が約12万リラ、事務労働者の平均月収が15万リラで、冷蔵庫は6万リラだったとのことですから、当時は冷蔵庫を買うのに、月給の半分が必要だったわけです。(参照元はこちら)
我が家には、1964年に義父母が購入して、今も機能して使えている冷蔵庫があります。チンクエチェントもあちこち修理はして、手は入れていて少し若い(1967年らしい)のですが、今もちゃんと走ります。
-- Naoko Ishii (@naoko_perugia) April 8, 2021
昔は、長く使える耐久性のある製品を作っていたのですね。
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単に高価だからというためではなく、戦後の物のない時代を生きた義父母には、物を大切にしようという姿勢があり、また当時の企業にも、長く使えるよい製品を作ろうという意識があったのでしょう。何年か前に、電化製品などの修理を仕事とする人が、「最近では企業が、修理に必要な部品の製造を、販売開始からしばらくすると打ち切ってしまうために、修理が難しい」と、テレビ番組で語っているのを聞いたことがあります。まだ使えるものがあっても、より新しいものがほしいと思わせるような宣伝、常に流行を追った暮らしをすることが理想だと思わせるようなマスメディアの報道も、その背後には、「古いものは早く新しいものと変えてもらわないと、売ることができず、企業の業績が上がらない」というスポンサーの意図、資本主義のゆがんだ一面があるのではないかと思います。そう言えば車も、日本に暮らしていたときは、走行距離が10万キロを超えたら新しい車に変えたほうがいいと聞いていましたが、イタリアでは、数十万キロ乗っても、まだ十分に使えるので乗り続けているという人も少なくありません。
イタリア旅行みやげの品として、日本でも知られるペルジーナ社のバーチチョコレートは、ルイーザ・スパニョーリが、他の菓子製品の製造過程で余ってしまうチョコレートやヘーゼルナッツを、うまく利用して別の菓子が作れないだろうかと考えていて、生まれた商品です。最初は形がでこぼこで、cazzotto「ゲンコツ」という名で売っていたのを、名前を「口づけ」を意味するbacioに変えて、さらに愛の言葉を記した紙を添えるようにしてから、今も愛される人気商品となったのですが、この誕生秘話の背景にも、物を大切にしようという心があるように思います。
ファッションで知られるルイーザ・スパニョーリ(1877‐1935)は、他の菓子を生産する過程で余ってしまうヘーゼルナッツを有効利用しようという発想から、バーチチョコレートを考案しました。アンゴラウサギの毛を、ニット製品に使うことを初めて考えたのも、やはり彼女です。https://t.co/hRGhEaTZ04 pic.twitter.com/VuTbRM26ED
-- Naoko Ishii (@naoko_perugia) January 20, 2021
物を大切にしたルイーザ・スパニョーリはまた、自社で働く従業員も大切にして、女性労働者が安心して働けるように、今から百年も前に、工場内に従業員の子供たちを預かる保育所を設けていました。ルイーザ・スパニョーリは、今はファッションブランドとして知られる同名の企業の創始者としても知られていますが、アンゴラうさぎの毛を、衣類を作るのに利用することを思いついたのも彼女でした。
ペルジーナ社もルイーザ・スパニョーリ社も、世界で知られるペルージャの伝統ある企業なのですが、残念ながら、ペルジーナ社はスイスのネスレ傘下となって長く、企業の利益ばかりが優先され、終身雇用者には早めの退職を奨励し、単発労働や季節労働ばかりを増やしていこうとしています。また、ルイーザ・スパニョーリ社も、十数年前に日本からのお客さまに通訳として同行したときに話を聞いたのですが、商品の製造管理こそ、本社から派遣された人が直接現地で行っているものの、商品の製造はより労働力の安い海外に移されてしまっています。また、社内では、製造された衣類が、人の手を経ることなく、オートメーションで分類され運ばれ、包装されて、送付する宛先も記された箱の中に詰められていて、そんなふうに工場の海外移転やオートメーション化で、それまで長く勤めていた何人の人が職を辞さなければならなかったのだろうかと思わざるを得ませんでした。
企業が利益ばかり求めて、従業者の命を危険にさらしたり、経済的に不安定な状況を強いたりするのではなく、客と共に従業員を、社会を大切にすることが必要であると、職場での事故死が絶えないイタリアで、イタリアでは国民の祝日でもある5月1日、労働の日、メーデーを前に、痛切に感じています。
著者プロフィール
- 石井直子
イタリア、ペルージャ在住の日本語教師・通訳。山や湖など自然に親しみ、歩くのが好きです。高校国語教師の職を辞し、イタリアに語学留学。イタリアの大学と大学院で、外国語としてのイタリア語教育法を専攻し卒業。現在は日本語を教えるほか、商談や観光などの通訳、イタリア語の授業、記事の執筆などの仕事もしています。
ブログ:イタリア写真草子 Fotoblog da Perugia
Twitter:@naoko_perugia