イタリアの緑のこころ
町を荒廃から救った作家カルロ・レーヴィ、情熱とペンの力 〜 美しきマテーラ 荒廃・困窮から世界遺産・欧州文化首都に 後編
作家、カルロ・レーヴィ(Carlo Levi、1902-1975)の自伝的小説は、記事の前編でもご紹介したようにマテーラを荒廃から救い居住環境の改善や人々の暮らしの向上のために大いに貢献したのですが、この小説、『キリストはエボリで止まった』(イタリア語の原題は『Cristo si è fermato a Eboli』)は1979年に映画化されています。
英語字幕がついた下の予告編映像では、エボリで汽車を降りてから、別の汽車と車を乗り継いで流刑地へと向かう主人公が目にする荒涼とした風景が冒頭に映し出され、「キリストはエボリで止まった」という言葉が、後年になって当時を感慨を持って思い出す主人公によって語られています。イタリアにいれば、Raiplay.itのこちらのページから、150分の映画ではなく、翌年にテレビで4回に分けてドラマとして放映された全270分の完全版を視聴できます。
わたしがマテーラでガイドの若者から聞いたレーヴィの社会的貢献については、マテーラの旅行ガイド、『Matera. Guida alla città dei Sassi』(下の写真)に詳しく書かれています。その説明によると、まず1950年に当時の首相、デ・ガスペリがマテーラを訪ね、状況の改善のために動き出します。この改善のための計画を立てた社会学者はカルロ・レーヴィの『キリストはエボリで止まった』を読んで農民文明の価値を認識し、さらなる研究と農民文明の保護の必要性を感じます。そして、国会で、マテーラの洞窟住居、サッシの居住環境の健全化を図るための法案が提出され、1952年からは、居住に適さないとされた洞窟住居から新しい居住地区への転居が推し進められます。1960年代には、サッシを人間が居住することのない地域として放棄し、歴史的記憶からも消し去ろうという新しい法案さえ出たのですが、この法案に反対して、こうした地区を衰退・荒廃から救う必要性とサッシを歴史的・社会的に価値あるものとして守り活用することを主張したのが、1963年から1972年まで上院議員を務めたカルロ・レーヴィでした。やがて文化サークルが誕生して、穴居時代から現代に至るまでの住居の保護と考究の場としての民族人類学博物館の創立が提案され、岩窟教会の詳細な研究のおかげで、廃墟だと考えられていた場所の魅力が知られるようになります。こうした流れを汲んで、古くからの洞窟住居を、住居として、また商店や文化施設として利用できるように、保護して再生するための法律ができたのは、ようやく1986年になってのことでした。こうした町の発展・再評価は、歴史的価値が再発見されたマテーラの町に再び命を吹き込もうとする一人ひとりの市民の意思を中心に行われていき、そのおかげで1993年には世界遺産として認められ、2014年には、2019年の欧州文化首都として選ばれたのです。
今では大勢の観光客が訪れるマテーラで、人々の暮らしや環境の劇的な改善が行われたこと、その背景に、北イタリアから流刑されて来て、土地の人々と交流し、このままではいけないと小説を書いて訴えた作家、カルロ・レーヴィの小説とその後の人生で政治家としても働きかけての社会的貢献があったということ、そして、再び人が暮らせるようになり、さらに観光地としても魅力のある地域とさえなったのは、住民たちが熱意を持って貢献したためであること。日本でもイタリアでも、いえ、世界中に、過疎化が進むなどの理由で、同様の問題を抱える地域があることでしょう。そうでなくても、マテーラがこうして町の再生と再評価、活性化に成功したことから学べることは多いと思います。一人の力、ペンの力、市民の団結の力の大切さとその力がどんなに社会や未来を変えていくことができるか、今後マテーラを訪れるときに、テレビや映画でその風景を見るときに、どこかで思い出していただければ幸いです。
著者プロフィール
- 石井直子
イタリア、ペルージャ在住の日本語教師・通訳。山や湖など自然に親しみ、歩くのが好きです。高校国語教師の職を辞し、イタリアに語学留学。イタリアの大学と大学院で、外国語としてのイタリア語教育法を専攻し卒業。現在は日本語を教えるほか、商談や観光などの通訳、イタリア語の授業、記事の執筆などの仕事もしています。
ブログ:イタリア写真草子 Fotoblog da Perugia
Twitter:@naoko_perugia