NYで生きる!ワーキングマザーの視点
藤井風のバックダンサーだった川手恭治がNYで新たなチャレンジ
日本では、藤井風さん米津玄師さん、3代目J Soul Brothersのメイボーカル登坂広臣さんなどのバックダンサーとして活躍されていた川手恭治(かわてやすはる)さん。現在はニューヨークへ活動の場所を広げようと試みている。
「2022-23年に藤井風さんのバックダンサーとして4ヵ月、日本の国内ツアーを回りました。藤井さんの音楽は、どのジャンルにも属さない日本でこれまでにない独自なフリー・スタイルだと感じます。いろいろなテイストの楽曲があり、その中にダンス・ミュージックもあるのですが、ストーリ、メッセージ性がある中にしっかりビートが響いてて、踊っててふと気づくと彼の音楽に包まれて自然体で踊ってました。」
恭治さんの売りは音楽と融合できて、どんな音楽にものっていけるダンサー、和でも洋でもいける感性をお持ちだとか?
「よく言われるのですが、自分的にはどんな音楽でもというより自分に合った音楽が体に入ってきたらその曲に入りこんで踊っています。
2017年にアルゼンチン発祥のアートショー、フエルサブルータのオーディションに受かりキャストに選ばれました。フエルサブルータは最初NYのオフブロードウェイで初めて見て衝撃を受けたアートショーで、日本公演のキャストオーデションがあると聞いてすぐに応募しました。
2、3ヶ月アルゼンチンに修行しに行き、帰って来たのち東京で約400回のショーをこなしました。
毎日本番前のミーティングで自分の役が決まる為、毎日どの役が来ても怪我なくベストが尽くせるように万全のコンディションでいる必要がありました。今でもあのライト、空中に浮いてる感覚、音など鮮明に覚えてます。本番中の1年間は人生の半分が本番だったので、感覚が少しおかしかったですね。。。
ずっと頭や体が覚醒して寝れない日々も多々ありました(笑)。それでも機会があればまたやりたいショーの一つです。人間としてもパフォーマーとしても沢山学び成長出来た期間でした。アルゼンチンのフエルサブルータは今でも色々と進化して世界でツアーを周ってます。」
ダンスを始めたきっかけを教えてください。
「18歳で高校が終わるころ、姉がヒップ・ホップを習うために通ってるダンス・スタジオを見学に行ったのがきっかけで、興味をもち。姉はやめたのですが、そこでHipHop入門クラスに通い始めました。
本格的にダンスをやろうと思ったきっかけになったのは、姉がサンタモニカ・カレッジに通っていたので、LAへ遊びに来たのですが、ミレニアム・ダンス・コンプレックスというスタジオで受けた黒人のインストラクターが行っていた、グルーヴ&リズム・トレーニングみたいなレッスンに衝撃を受けました。
頭に花火が飛び散るような感覚があり"これだ!!!!"と感じました。その後大学には行かずに、ひたすらバイトしてLAにダンス留学することを決めました。
©NY1page.com LLC,
ほぼダンス初心者の状態でLAにとんだのですが、まったくついていけなくて、見てるだけの時もありました。そのまま3ヵ月は何もできませんでした。1年くらいで、なんとなくついていけるようになってきました。」
どうやって上達していったのですか?
「2週に一度だけ、バスでスタジオに通ってました。クラスでは振付を覚えたり、基礎もやりながら、クラスの後に一人で公園へいってひたすら練習していました。4~5時間一人で練習していたのですが、時々Nice!みたいな感じで通りがかりに喜んでくれる人もいました。
2年目からやっと週4回通い始めたので、めきめき上達しました。練習しないと気がすまないこともあって、練習は唯一メンタルのバランスを保つためにもやっていました。3年目にLAからNYに移動してきました。そこからはペリー・ダンスで1月に44クラス受けていました。BDC(Broadway Dance Center)にも通っていました。」
なぜNYに移動してきたのですか?
「その当時、NYからLAにダンサーが移動してきていて。カッコいいって思うダンサーがNY出身だったんです。NYでは、基礎とかトレーニングをしっかるやってきているからだと知り、NYでトレーニングしようと思いました。
LAにはトレーニングのシステムがなくて、自分を見せに行くようなクラスが多かったので自分の成長も止まっていました、NYにもう一段階成長するために来ました、今思うと本当に来てよかったです。」
見せに行く?クラスとは具体的に。
「LAは1時間レッスン中、基礎トレーニングもなく、すぐに振付にいってしまうんです。そんな中で成長するところは限られてしまうので。基礎トレーニングを受けるのには、NYのほうが断然よかったです。」
恭治さんは和太鼓も演奏できるそうですね。ジャパニーズ、スピリチャルを持っているので、アメリカで唯一無二のパフォーマーになるのでは?と期待されているそうですが。
「和太鼓は小学3年生の時に親戚のおばさんが入っていた太鼓チームに連れてってもらったのかきっかけで始めたのですが、そこの先生に気に入って貰い和太鼓チームに入る事になりました。
和太鼓の音が心地よくて、リズムに合わせて皆んなで音を作っている感じが楽しくてのめり込むように3年間本気でやってました。結構厳しい先生の元、小学3年生でしたが手はアザだらけ、血まめだらけでした。でも可愛がってくれてたので沢山色々なショウに出させて貰いました。帝国劇場やスタジアムの開会式や夏になると盆踊りに合わせて叩く盆太鼓など叩きに色々な場所に行きました。
20年前の事ですが今でも太鼓叩けるほど当時の厳しい練習が体に染み込んでいます。日本のフエルサブルータも和太鼓を取り入れていたのでこの時習った和太鼓がとても役に立ちました。」
日本では、沖縄に住んでいるそうですが。
「2年前から沖縄に住んでいて、元々東京出身なので東京以外の場所に自分の家が欲しいと思ったとの、自然好きなので、自分のメンタルのバランスを保つためにも沖縄に住みながら東京に仕事しに行くスタイルを2年前からしています。
沖縄にいて心身共にリセットして、東京にいって仕事をさせていただけるのがありがたいです。
沖縄へ移住しても、信用してくれている方たちが連絡をくれて、お仕事をいただけるのはとても感謝です。藤井風さんのツアーは沖縄から参加させて貰いました。」
©Yasuharu Kawate
藤井風さんのツアーでは、どんなダンサーさんたちと?
「ダンサー8人でツアーにまわっていますが。日本人っぽくないダンサーが多く、ダイバーシティ<Diversity・・・多様性>を感じます。」
藤井風さんという日本のビッグスターのバックダンサーだったのに、キャリアを捨ててアメリカへ戻ってくるのはもったいないですよね・・・。
「藤井さんのバックダンサーのお仕事は楽しすぎて、このままだとアメリカへ来るという目標を捨ててしまいそうだったので。『死ぬときにアメリカに行かなかったことを後悔したくないので今行こう!』って。」
目標を果たすため、自分を奮い立たせたわけですね。
「姉がアメリカ人と結婚して、NYに住んでることもあって姉の家でお世話になっているんですが。今回は、アメリカでアーティスト・ビザをとってプロとして活動したいです。有名なアーティストのバックダンサーだけでなく、一人のダンサーとしてショーができるといいなという希望もあります。」
【プロフィール】
川手恭治(かわてやすはる)
9才の時に和太鼓を始め3年間、帝国劇場、味の素スタジアム開会式などで演奏する。 17才でダンスを始め19才の時アメリカに単身渡米LAとNYで3年間修行した後日本を拠点に藤井風、米津玄師、登坂広臣、三代目J Soul Brothers、E-girls、DISH、倖田來未、BENIのバックダンサー、振り付けなどする。宮本亜門演出による舞台"THE WIZ オズの魔法使い" "SUPERLOSERZ"に出演、その後もアルゼンチン発祥のアートショー Fuerza Bruta WA!! Wonder Japan Experience、Cirque du Soleil創設者ギー・ラリベルテの新しいカンパニー、LUNA ROUGE ENTERTAINMENTのショー"The Infinity Ball"に出演、ダンス講師として、アメリカ、カナダ、アルゼンチン、中国、台湾などでWSを開くなど 日本国内外関係なく世界的に活動中。
著者プロフィール
- ベイリー弘恵
NY移住後にITの仕事につきアメリカ永住権を取得。趣味として始めたホームページ「ハーレム日記」が人気となり出版、ITサポートの仕事を続けながら、ライターとして日本の雑誌や新聞、ウェブほか、メディアにも投稿。NY1page.com LLC代表としてNYで活躍する日本人アーティストをサポートするためのサイトを運営している。
NY在住の日本人エンターテイナーを応援するサイト:NY1page.com