NYで生きる!ワーキングマザーの視点
ミュージカル「ミス・サイゴン」出演中のミュージカル女優~前嶋利菜
前嶋利菜は、NY郊外のシアターでミス・サイゴンのミュージカルに出演中だ。ベトナム戦争を背景に、ベトナムの娼婦がアメリカ兵と一夜の恋に落ち身ごもるという話なのだが、ブロードウェイのショーだっただけあって、チケットは売り切れ。
前嶋はその娼婦の一人を演じている。衣装は、ナイスバディーと思わず口笛を吹きたくなるようなキラキラ光る露出の多いビキニ。大きな胸や尻、腰のくびれが遠くの席からでもくっきり見える。
「最初に衣装を着たときは、正直、恥ずかしかったです。じゃあ、どのタイミングで恥ずかしくなくなったのかっていえば、売春宿でリーダー的存在のジジがソロで歌うシーンがあるのですが、『好きで身を売ってるんじゃない、本当は夢があるんだ』と、本当の気持ちをあらわします。
その歌詞を改めて読んでから、自分も役に入り切ったんです。役に入ってしまうと、これをやらないと自分は死ぬって思えてきて、腰を思い切り動かすことができて、そこからは楽になりました。」
男性に密着してセクシーな動きをするシーンがたくさんあるのですが、アドリブなのか?セクシャルハラスメントが様々な業界でタブーとされている昨今、この舞台はかなり大胆な演出だったので、度肝を抜かれた。
「曲になっているところは振付があるのですが、最初のシーンはアドリブのところもあります。パートナーだけ決まっていまるのですが、リハーサルでここを触って大丈夫?って事前に決めてました。キャストが嫌なことはさせないってことを振り付け家が徹底してくれたので、守られている感じで安心して取り組めました。」
生粋の東京育ちという都会っ子。だが沖縄の方言も少し話せる日本語もバイリンガルな理由は、母親が沖縄県宮古島出身だからだという。南国のエキゾチックなルックスは母親譲りなのだろう。
「コロナの間、避難するため宮古に2年間行ってたからか、方言も少し話せるようになりました。」
幼少のころからミュージカル女優になろうと目覚めたというが、それは父親の影響だったそうだ。
「父は芸術関係が大好きで、私が幼少のころからゴールデンエイジ※1の映画を観せてくれたりたので、映画からいろいろな芸術に触れたかな。父が舞台や歌舞伎なども観に行くときは必ず私を連れて行ってくれました。
そのほかにも、父は音楽に関心があって、地元のオーケストラに入ってみたり、江戸友禅を学んで着物を染めていたこともあったり、とにかく芸術に関して知識が豊富で多趣味でしたね。気づいたら私もミュージカルをやりたいって言ってました。」
高校までは普通科でどのあたりからミュージカル女優の夢に向かって進み始めたのだろう?
「夢を口にし始めたのは多分小学校に上がる前ですね。でもずっと、基礎になるクラシックを学びなさいと、母から口酸っぱく言われていたのもあって、音大に入りオペラや歌曲を歌っていました。英会話は子供のころからやっていたのですが、大学生頃からは自分から英語でミサをやる教会に通って、コーラス隊に入っていたりしました。」
日本では東京藝術大学の声楽科を出たが、日本の舞台ではなく、世界の舞台に出るのだと決めていたのだとか。そのためAMDA(The American Musical and Dramatic Academy)へ入学を決め、来米した。
「アメリカに来て、初日に自分の英語が通じないことにショックを受けて、半年は劣等感でいっぱいでした。宿題もいっぱい出るから、毎日10時間は勉強に費やして、ほぼ泊まり込みの勢いでした。勉強してから実技の自主練をして、夜中になる前に寮へ帰って、また学校へという生活を、卒業するまでの約2年間やっていました。
半年過ぎたくらいから、周りに認められはじめて、ちょっと自信がでてきました。そこから自分のパフォーマンスができるようになりました。」
日本国内では芸術面で飛びぬけて優れてないと入れない大学の声楽科を出てるわけなので、日本の舞台に立てるくらいの実力があるわけだが、わざわざNYへ来たとは。。。パフォーマンスの面で、どういうことを学んだの?
「アメリカに来て分かったのは、藝大を出たからといって、終わりじゃなかったってことです。それでも藝大を出たおかげで基礎はついていたので、オペラやクラシカルな曲を歌うときには一目置かれたのですが、でもアメリカでは日本の大学の学校名は関係ないし、発声の仕方もやり直したりと、学ぶことがたくさんありました。
アメリカの舞台では、歌がうまく歌えるだけでは、役者としては使えないんです。歌を道具として、どう舞台の中で使うかが重要です。つまり歌だけでなく演技力を付けたり、どう自分らしさ(個性)を役に入れこむのかという練習や研究が大切です。」
今回の舞台でゴスペルのような歌い方をしている役者さんがいましたね。
「彼はキャリアの長い俳優さんで、ゴスペルのような歌い方をするのは、彼の個性であり、役としての選択だと思います。
舞台俳優である以上、ストーリーをお客さんに伝えるための技術があって。アメリカでは、それを重視してるのだなぁって思います。ブロードウェイでも、俳優の歌がうまいのは当たり前であって、演技力や個性が入ってるところに観客が感動します。」
パフォーマンスの場に、NYを選んだ理由は?
「子供の頃からの夢でしたから。それに全米だけでなく、世界からパフォーマーがNYに集まってくるので、パフォーマンスが上手くて当たり前で、競争は激しいのですが、やりがいもあります。日本よりいろいろな個性をみてくれるので、こちらのほうが自分にとっての可能性を感じるんです。」
せっかくオペラを日本で学んでいたのに、オペラのオーディションは受けないのだろうか?
「オーディションで、自分にあう役があれば受けてます。今回、ミス・サイゴンに私が出演できたのは、本当にラッキーでした。すでにキャスティングは終わってたのですが、急遽、ソプラノパートのアンサンブルを探していたところを、私の知り合いがみつけてくれて、ビデオを送って応募したら合格しました。」
今回ミス・サイゴンを観て思ったのだが、役者さんたちがその役にとてもマッチしていた。自分もベトナムのその時代のその場所にいるんじゃないかって思わせるくらいに、リアルだったのだ。
「まさしく、観客にその時代にいるんじゃないかって、信じてもらうように演じています。この時代のこの地域の人ならどう動くとか、どういう話し方をするとか。リアクションとかも、この役だったらどうするとか。歌にこめて、演じているのです。」
主観になるが、ちょっと前にオペラの蝶々夫人を観たことがあり、舞台となっている国が違うだけで、内容が被ってると思った。蝶々夫人は舞台が日本だからか、ちょっと厳格なイメージ。ミス・サイゴンはベトナムの南国っぽい盛り場の華々しさがよかった。
「ミス・サイゴンは、ミュージカル版の蝶々夫人って言われているんです。蝶々夫人は、これほどの芸術として残してもらえたおかげで、世界の人たちが日本での戦争のことを知ったり、日本の文化に興味をもってもらえるので、世界に出してくれたことに感謝しています。だからこそ、日本の過去の内容が忠実に作りこまれていなければって思います。
舞台芸術って、現実を忘れさせる"エンターテイメント"であることと、"観た人に問題定義をする"という、2つの役割をもっていると思います。私もこの出演がきっかけでベトナム戦争を調べてみました。アメリカが隠したいであろう敗北の事実を、よく芸術にしたなと感心したり、アジア人として思うところがあったり、いろいろと知るきっかけになりました。」
今回の役を演じることで気を付けてることは?
「自分の歌ってることがその世界で本当であるように演じるよう努めてます。嘘ってわかった瞬間に見ている観客も興ざめしますし。あとは、こちらが恥ずかしがった瞬間に役から離れてしまいますから、『やる!』と決めたことは堂々とやるようにしてます。
ちなみに、アンサンブルはいろいろなシーンでアドリブがあるので、役になれてくると楽しくて。今日はなにが起こるのかなぁって思うと新鮮です。セリフがないことが多いので、背後で何を喋ってようかなーって。たまに下ネタを話してたりすることもあります(笑)」
今後のご自身の目標は?
「ブロードウェイで日本人初、役つきで舞台に立ちたいというのが目標です。すでに日本人で実際にブロードウェイに出演している方がいますが、ダンサーさんが多いです。シンガーとして残るのは厳しくて。だからその壁を壊したいです。歌を第一の優先として挑戦していきたいです。」
そのために、自分の売りはありますか?
「見た目と、声のギャップでしょうか。パンパン飛び跳ねてる子役もできれば、オペラでしっかり歌うことも出来ます。両極端をやれることが強みです。」
※1.ゴールデンエイジとは、文化や芸術、科学技術などが発展し、社会的に安定していた時代を指します。一般的には1950年代から1970年代頃までの時期を指すことが多い。
photo by Sy Chounchaisit @sycphotography
【プロフィール】
前嶋利菜(まえじまりな)
ミュージカル俳優/ボイス&発音インストラクター
東京出身。東京蓺術大学声楽科卒業後、AMDA(American Musical and Dramatic Academy)NY校でミュージカルを学ぶ。
これまでにコーラスライン(コニー・ワング)、シェイクスピア演劇テンペスト(ミランダ)、オリジナルミュージカルや演劇への出演/振り付け、
オペラガラコンサート、豪華客船バイキング・オーシャン・クルーズラインでの歌手活動などを経験。
2年弱、沖縄県宮古島市で数々の自主プロデュースライブや、ラジオパーソナリティー、英会話講師など幅広く活動。
NYに拠点を戻してからは、オフブロードウェイ公演忠臣蔵-47志、ザ・レジェンド・オブ・ブラック・サムライ(リーディング)に出演。
Miss Saigon WPPAC
Instagram @rinamaejima
著者プロフィール
- ベイリー弘恵
NY移住後にITの仕事につきアメリカ永住権を取得。趣味として始めたホームページ「ハーレム日記」が人気となり出版、ITサポートの仕事を続けながら、ライターとして日本の雑誌や新聞、ウェブほか、メディアにも投稿。NY1page.com LLC代表としてNYで活躍する日本人アーティストをサポートするためのサイトを運営している。
NY在住の日本人エンターテイナーを応援するサイト:NY1page.com