NYで生きる!ワーキングマザーの視点
江戸の庶民文化は明治時代くらいから海外へは出禁に?
前回につづき「切腹ピストルズ」の隊長、飯田団紅(いいだだんこう)にインタビュー。
──なぜ和太鼓を演奏するのに「切腹ピストルズ」(イギリス出身のパンクバンドの名前をミックスしたもの)なのでしょうか?ほかの和太鼓集団との違いを教えてください。
即興なので、音はその場で作りますから、もちろん高齢者の前では、静かな演奏もします。しかし、和太鼓もロックやパンクやポップスと同じ土俵に混ざっていたいと思うからです。
和太鼓は基本、日本の伝統文化という由緒正しい世界なので、価値の高い、知識がないとわからない空間にあります。自分が若いころは熱狂するものが常に海外にあって、日本はつまらないって思ってました。勿論、それも誤解なんだけど、なかなか伝統の核心が庶民まで降りてこない。切腹ピストルズは、最初、由緒正しいものではないけど、まるで気にしないでいいのだ、の精神で始めました。
やってると色々感じてくる。明治時代から日本は外交的に、これが日本の伝統だと、おしとやかなものばかりを取り上げるようになって、ワイルドなものは封印されるというイメージ戦略だったのだとわかりました。明治以前は、切腹ピストルズなんか足元にも及ばない凄い事があふれていたはずなので、今や私たちは、そんな伝統の直系です。
明治の前、江戸時代には、封建制度とか上下の身分の違いが語られますが、いつの時代も良いもの悪いものはあります。その中にあるんですよ、ほかじゃあまり見られない特異なものたちが。お祭りの形にしても、あっちとこっちの集落の違いや世代の違いがあったり。
明治時代には、盆踊りが禁止された時代がありました。たとえば岐阜県の有名な郡上おどりすら禁止されてた。それまでの、何を歌っても踊っても、裸になってても、女も男も関係ないというこの日だけはちゃぶ台ひっくり返すムーブメントで、偉い人の悪ぐちまで言って、羽目をはずす人が多いので、明治時代に盆踊り禁止令がでたんです。
大正時代になったら、一流の国になるためには、海外に民間文化も紹介しなければならない風潮になり、盆踊りはエログロな部分を封印し、輪になって一緒の踊りと一緒の歌詞で静かに踊るという形で寛容され復活しました。
そんな歴史を知ると、その前って一体どうだったの?ってワクワクするんです。着るものにしても日本らしさというものがあって、面白いものやかっこいい知恵が詰まっている。肩肘はらずに楽しめるものが隠れている。
栃木県の私の住んでる地域では、大晦日から新年を迎える時に神楽を奉納するのですが、田舎の庶民全開で、太鼓たたきながらくわえタバコのおじちゃんとかいて、『笛かすれてるぞー』とか、ヤジ飛び交う中で神事をしてるわけです。
それを見たとき本当に楽しかった。江戸時代には、太鼓をやってる=音楽をやっているのは、一般の人で音楽家ではありませんでしたし、絵を描いたり芝居見せる人も、お百姓さんや職人だったわけで、一般の人でした。アーティストや芸術家という人たちがやってるわけじゃなく、一般の人が普通に面白いことをやっていたんです。音楽家、芸術家というジャンルなんか関係ありません。
そういう古来の姿を体感したく、演奏もそうですが、食に関しても、お米を無農薬で、手植え手刈り、天日干しもして、日本のコメはこういうコメなのだと自慢できるくらい美味しいものを作っている野中隊員がいたりします。
衣料品では、和装と考えたときに、若い人が着物をきなくなったのはなぜかといえば、花火やお祭りがへったというのもありますが、せいぜい成人式や結婚式だけです。そんな晴れ着は、殿様・お姫様の格好でした。地ベタに座ったり、自転車に乗ったりするってことは、お姫様の着こなしだと結びつきません。
江戸時代は九割がお百姓と職人ですよ。一般の農民や町民は、野良着で動きやすい服装だったんです。これぞ民族衣装。だから野良着に出会ったときに、動きやすさとそのデザイン性に感動ですよ。
すでに海外の人のほうがそのあたりを気づき始めている。日本だと蔵からでてきても捨てているような野良着や下駄や草履などが高値で取引されている。そんな時に、おい大丈夫か日本人と思うわけです。
──たしかに海外で流行ると、日本の人たちも日本では見えてない良さに気づくことができるという逆輸入的なところもありますよね。今欧米で流行っているコンブチャだって、日本では紅茶キノコっていってて、1970年代ごろ自宅で作ってたりして、ブームがありましたよね。欧米で流行ってまた日本でもブームがきたようです。
切腹ピストルズは、音の出る紅茶キノコですかね(笑)。
──これからの世界へ広げていく活動は?
梅崎監督がまとめてくださったドキュメンタリー映画「切腹ピストルズ」が、シカゴ日本映画コレクティブで上映され、今回はその会場で演奏しました。今度はアメリカツアーをやりましょうってお話になっていて、アメリカのファンの方たちからもSNSで今度はいつやるの?と問い合わせがきています。<敬称略>
日本の江戸時代の庶民文化が「切腹ピストルズ」によって海外へ広められ、新たに日本へ逆輸入される日は近い。江戸村を飯田が日本につくると話しているので、私も定年後はその村に移住できることを夢見る日々だ。
@NY1page LLC NYのオフィスビル1階で行われたギャラリー&尺八演奏イベント
切腹ピストルズメンバーの野中克哉
【プロフィール】
飯田団紅 いいだだんこう。切腹ピストルズ総隊長、絵師。東京生まれ。二〇十三年に妻の地元・栃木市西方へ移住。
【関連リンク】
切腹ピストルズYoutube公式
著者プロフィール
- ベイリー弘恵
NY移住後にITの仕事につきアメリカ永住権を取得。趣味として始めたホームページ「ハーレム日記」が人気となり出版、ITサポートの仕事を続けながら、ライターとして日本の雑誌や新聞、ウェブほか、メディアにも投稿。NY1page.com LLC代表としてNYで活躍する日本人アーティストをサポートするためのサイトを運営している。
NY在住の日本人エンターテイナーを応援するサイト:NY1page.com