灼熱の甲府盆地で「地名の由来」を考察する
◆歴史ある里山を登る
「志ほの山」が歌われた古今和歌集が編纂されたのは1,000年以上前のことだから、塩山の歴史は相当に古い。駅前の「旧高野家住宅(甘草屋敷)」(江戸時代後期の古民家=国重文)をはじめ、塩ノ山までの道のりは古い家並みが続いた。旧青梅街道の名残りがある石積みの切通しを過ぎると、鄙びた趣の塩山温泉に至る。その外れに塩ノ山の登山口があった。
塩ノ山は標高553m。生活に密着した里山である。登山道はよく整備されていて、随所に休憩小屋が設けられている。とはいえ、舐めてはいけない。35℃に達しようかという炎天下、カメラ機材一式を担いだ運動不足の中年の身には結構堪える。一方で、地元の人はスイスイと登っていく。僕がゼイゼイ言いながら頂上にたどり着く間に、トレイルランニングよろしく登山道を駆けていた男性はゆうに2往復していたし、毎朝の日課で登っている様子のおばあさんは、杖を片手に涼しい顔で山道を下りてきた。僕もせめてこのくらいの山はフル装備で涼しい顔で登れるようにならないと、今後の旅が思いやられる。
それはともかく、息を切らした甲斐あり、山頂付近からの眺めはなかなかであった。この旅全体の序盤で歩いた多摩丘陵よりも一回り高い景色だ。笹子峠を越えて甲府盆地側の「国中地方」に入って、勝沼のブドウ畑の間を縫ってここまで歩いてきた前回からの道のりが一望できた。山頂で小休止した後、山の反対側に下りて山梨市駅方面に向かった。
◆「山はあっても山梨県」
塩ノ山を下りた所は山梨県山梨市である。県名と県庁所在地の都市名が同じな場合が多いが、山梨県の県庁所在地は山梨市ではなく、その先の甲府市だ。甲府の由来は旧国名の「甲斐」の「府中(国府=政庁所在地)」から。そして、これまで歩いてきた旧大和・塩山・勝沼は、合併して甲斐国の別名から取った甲州市になっている。さらに、甲府の先にはそのものズバリの甲斐市もある。平成の大合併後の甲府盆地の地名は、とてもややこしいことになっている。
今回の旅のスタート地点となった塩山駅前にも武田信玄の像があったが、地元の人たちは「山梨」よりも「甲斐」「甲州」にプライドを持っているようだ。僕が住んでいる隣の長野県人も自らを「信州人」と言い、『信濃の国』という県歌を歌えなければ県民として認めてもらえない(移住者の僕はまだ歌えない)。廃藩置県で旧国名が廃されても、土地の人の帰属意識まではリセットできなかったということだろうか。
それはともかく、「山梨」の由来である。まず、この一帯が果樹園が一面に広がる「フルーツ王国」であることから、果物の梨が思い浮かぶ。その通り、もともと和梨の野生種である「ヤマナシ」の木が多かったことから、「山梨」名がついたというのが通説である。今の山梨市あたりは奈良時代から「山梨郡」と呼ばれており、廃藩置県後の最初の県庁所在地が山梨郡に置かれたことから、県名になった。しかし、現在の甲府盆地で圧倒的に目立つのはブドウ畑であり、次いで桃、サクランボ、リンゴと来て、梨はむしろマイノリティだ。現代人の感覚では、山梨県と梨は実はあまり強く結びつかない。
では、「山はあっても山梨県」というフレーズを聞いたことはないだろうか。僕はこれを子供の頃、よく嘘か本当か分からないこと言って僕をからかっていた11歳年上の兄に教えられ、山があるのかないのか結局よく分からないという、神秘的な山梨のイメージを植え付けられたものだ。実際、「山梨」の由来として、「山を成す=山がち」であることから「山成し」とする説と、反対に甲府盆地の平坦さをフィーチャーして「山無し」とする説がある。つまりは、まあ、「山があるのかないのかよく分からない」というイメージは、あながち的外れでもないということか。
◆かろうじて耐えられる酷暑
さて、令和元年の真夏の山梨は、灼熱の地であった。お盆休み真っ只中のこの日の山梨市の最高気温は36℃。中心部の山梨市駅あたりに着いたのがちょうど正午だったから、その最も暑い時間帯に「山梨」を歩いたことになる。
このあたりの町並みは、細い路地を形成する古い住宅地の間にブドウ畑が点在し、ところどころに敷地の広い旧家や最近建て替えた今風のオシャレな邸宅が混じるイメージだ。国道沿いに大型スーパーやパチンコ店、全国チェーンの飲食店が並ぶ、日本全国どこにでもあるいわゆる「埼玉化した日本」の典型には、まだなり切っていない印象である。
そんな、まだ土の匂いが残る古き良き町並みの影響だろうか。日射しは強く気温は高いものの、東京の都心部のような息苦しいほどの湿気は感じない。確かに相当な暑さではあるのだが、甲府盆地を吹き抜ける心地よい風もあり、少なくとも僕にとっては話にならないほど非常識な暑さというほどではなかった。ただし、今日ここでオリンピック競技をやれと言われれば断固お断りしたい。
◆昭和の風情漂う温泉街
東側から甲府盆地に入ると、一面のぶどう畑からしだいに住宅地が優勢になり、ゆるやかに甲府の中心市街地につながっていく。そこにワンポイントでアクセントを加えるのが、甲府の手前にある石和(いさわ)・春日居の温泉街である。高度経済成長期以降に出現した昭和テイストの巨大な温泉ホテルやリゾートマンションが建ち、さながら"陸の熱海"である。
芸者やコンパニオンを呼んでどんちゃん騒ぎをするような、社員旅行などの団体客を見込んだ昭和型の温泉街は、バブル崩壊を挟んで今や過去のものとなった感が強い。ただし、その代表格である熱海は、近年は外国人観光客も呼び込んで賑やかさを取り戻している。石和温泉の方は、もともとの規模や知名度の違いもあるのだろう。良くも悪くも鄙びた風情がより色濃く見えた。要塞のようにそびえる温泉リゾートマンションの住民も高齢化しているようだ。
一方で、改装されたばかりの駅前には大型ショッピングモールがあり、周辺も「埼玉化」的な方向で発展しているのが見て取れた。駅前の観光客向けの足湯は、若者や外国人観光客で賑わっていた。そんな新たな賑わいは、「昭和の遺産」を「令和の新しい価値観」にうまくバトンタッチする兆しだとも言えるかもしれない。
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