コラム

北朝鮮とトランプ:「リビア方式」を巡る二重の誤解

2018年05月21日(月)19時30分

この一連の流れを受けて、リビアは核問題についても平和裏に解決することをイギリスのブレア首相に打診し、2003年3月から12月にかけて交渉が行われ、リビア核合意が成立した。

また、2003年3月に始まったイラク戦争を始めたブッシュ大統領は、リビアの核問題が解決しなければ同じような軍事侵攻の可能性があるとして脅しをかけたこともリビアが核交渉を進める動機になったと考えられる。また、リビアには核開発を進めるだけの十分な技術力もなく、核開発計画自体が立ちゆかなくなっていたという背景もあった。ゆえにリビアの核開発については国際社会も大きな関心を示しておらず、核不拡散に基づく国連安保理制裁も実施されていなかったが、しかし、ロッカビー事件によって経済制裁を受けていたリビアは、事件の解決によって制裁解除を受けた上で核開発の制裁を受けるのを避けたという見方も出来よう。

いずれにしても、リビアはこれらの理由から核開発計画を放棄し、IAEAとの間に追加議定書(申告されていない施設であっても査察を認める)を結び、以後、核開発を進めることはなかった。

ボルトンの誤解

ボルトン安保担当補佐官は、北朝鮮の非核化の方法として「リビア方式」を主張しているが、その「リビア方式」は必ずしも2003年の交渉・合意形成過程を反映しているわけではない。第一に、リビアは核開発を理由に制裁を受けていたわけではなく、あくまでもロッカビー事件のテロに関する容疑で制裁を受けていた。言い換えれば、リビアはロッカビー事件を解決した段階で、核開発を放棄する必要もなかったし、その圧力も強くかかっていたわけではなかった。そのため、現在の北朝鮮のように、核開発を理由に強い経済制裁を受けている状況ではなかったことをまず確認しておく必要があるだろう。

第二に、リビアは核兵器を保有する段階にはほど遠い状況であり、上述したように、自力での核開発には限界があることを理解していた。そのため、核開発を廃棄することはリビアにおける財政的負担を軽減し、国際社会に再統合する方がより大きなメリットがあるという計算が立った、という状況がある。これは北朝鮮の現状とは大きく異なる。北朝鮮は核兵器を保有しており、それが対米関係や国家の自立において決定的に重要であることはよく理解している。そのため、リビアほど容易に核廃棄することは考えにくい。

当時、交渉に関わっていたボルトンが「リビア方式」と言う場合、リビアの経験をそのまま適用するのではなく、あくまでもパターンとして、先に交渉を行い、非核化を徹底させた上で制裁解除を行う、という理解になっているものと思われる。しかし、ここにも誤解がある。リビアにおける核合意は2003年12月に結ばれたが、リビアに対する国連安保理の制裁は2003年9月に解除する決議が採択されている(なお米国の独自制裁は現在に至るまで部分的に継続している)。

つまり、ボルトンが主張する「リビア方式」というのは、過去の現実に基づくものではなく、全く新しく作り出された概念である、ということを踏まえておかないと、誤解が生まれる可能性がある。

北朝鮮とトランプの誤解

ボルトンが主張する「リビア方式」はあくまでも核廃棄の手順を示したものであり、合意を結んで完全な非核化(CVID)を実施した後に制裁解除するという順序で北朝鮮との合意を結ぶという提案である。

この提案に対し、北朝鮮は極めて強い態度で反発し、金桂冠はボルトンを名指しにして、CVIDや「核、ミサイル、生物化学兵器の完全な廃棄」や「核兵器廃棄が先で補償は後」などと好き勝手なことを言っていると非難した。そして金桂冠は、こうした「リビア方式」は北朝鮮をリビアやイラクのような運命に追い込むものである、として受け入れることを拒否し、「リビア方式」を主張する限り、米朝首脳会談を「再検討」せざるを得ない、と強調した。

この一連の議論で、もう一つの誤解が生み出されている。それは北朝鮮が理解する「リビア方式」とは、リビアやイラクのような武力侵攻を容認する仕組みであり、その結果、最高指導者であるカダフィやサダム・フセインが殺害され、体制転換が起き、国家が混乱すると言うものである。これを受けて、トランプは先に述べたように、北朝鮮の体制保証を約束し、核合意が出来たなら金正恩は殺されることはないが、合意が出来なければ武力行使もあり得るという形で応答した。

プロフィール

鈴木一人

北海道大学公共政策大学院教授。長野県生まれ。英サセックス大学ヨーロッパ研究所博士課程修了。筑波大大学院准教授などを経て2008年、北海道大学公共政策大学院准教授に。2011年から教授。2012年米プリンストン大学客員研究員、2013年から15年には国連安保理イラン制裁専門家パネルの委員を務めた。『宇宙開発と国際政治』(岩波書店、2011年。サントリー学芸賞)、『EUの規制力』(共編者、日本経済評論社、2012年)『技術・環境・エネルギーの連動リスク』(編者、岩波書店、2015年)など。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

バイデン氏陣営、選挙戦でTikTok使用継続する方

ワールド

スペイン首相が辞任の可能性示唆、妻の汚職疑惑巡り裁

ビジネス

米国株式市場=まちまち、好業績に期待 利回り上昇は

ビジネス

フォード、第2四半期利益が予想上回る ハイブリッド
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴らす「おばけタンパク質」の正体とは?

  • 3

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗衣氏への名誉棄損に対する賠償命令

  • 4

    心を穏やかに保つ禅の教え 「世界が尊敬する日本人100…

  • 5

    マイナス金利の解除でも、円安が止まらない「当然」…

  • 6

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 7

    ケイティ・ペリーの「尻がまる見え」ドレスに批判殺…

  • 8

    ワニが16歳少年を襲い殺害...遺体発見の「おぞましい…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    イランのイスラエル攻撃でアラブ諸国がまさかのイス…

  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 6

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 7

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 8

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 9

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 10

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 10

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story