車いすユーザーの声は「わがまま」なのか? 当事者に車いす席の知られざる実態を聞く
――ADAは、ハード面での規定のほかに「介助せよ」ということまで明記しているのか。アメリカの場合、例えば今回の映画館の例で言うと、映画館の従業員に介助する義務も発生する?
アシストをリクエストできる状態にはなっている。必要なときには事前に言ってください、相談窓口がありますよと明示されている。障がい者人口がとても増えているなかで事業者として「喜んでお手伝いしますよ!」と言ったほうが、障害当事者もそのポジティブな体験をもとに、リピートしたり人を連れてきたりと、事業者にとって新たな客層の獲得、そして売上増にもつながるはずだ。
一方で、今すぐできることとして、事業者側は「アシストが必要な場合は事前に連絡してください」とアナウンスしたほうが良いとも思っている。連絡なしにやって来て、時間がないなかで突然アシストしてくださいと言われれば、それは無理ですよとなるのは当然でしょう、という思いもあるだろう。
なので、障がい当事者としては、映画館なら前日に連絡するとか、少なくとも2時間前などに行って、この時間のこの席を買いたいのですが、こういった点で手を貸していただけますかと相談し、話し合いをしてみるのはどうだろう。何にしても建設的な対話をするためには、互いに心と時間に余裕が必要だと思う。
――感覚的な質問になってしまうが、車いすに乗ることになった人たちは、それまでのようには外に出かけなくなってしまうものなのか。
中途障害者がどのくらいいるかは分からないが、それなりに多いと思う。車いすユーザーは日本国内だと約200万人、全人口の1.57%いると言われている。ということは、200人とすれ違ったら本来なら3人の車いすユーザーとすれ違っているはずだが、実際には出会わない。
もっと身近な例では、日本で最も多い苗字の佐藤さんは184万人くらいと、車いすユーザーとほぼ同数だが、自分の知り合いに佐藤さんがたくさんいても、車いすユーザーはほとんどいないだろう。車いすユーザーはみんなと接する機会が極端に少なかったりする。公共交通機関に乗りづらいとか、坂道とか段差とか、つまり社会の側にある障害(バリア)によって外出できていない人たちも多い。
――車いすユーザーの側にも、外に出ると言うことに対して、心の中にバリアが出来てしまうのか。
じろじろ見られるのが嫌、という人も中にはいた。当事者ももっとメンタルが強くならなきゃね、という話ではあるのだが、みんなそれぞれ状況が違うので、一概には押し付けられない。中途障害の中には過去の自分は立って歩いて走っていた。それが突然歩けなくなって、周りの人に見られたくない、と思ってしまう人もいた。