誰も驚かない「いかにも」なプリゴジンの最期...だからこそ「ワグネル・ブランド」は今後もアウトローを魅了し続ける
Branding Wagner after Prigozhin
2カ月前の反乱の際、ロシア南西部のロストフナドヌに進軍したワグネルの部隊は、市民から熱狂的な歓迎を受けた。反乱が頓挫した後も、プリゴジン人気が衰えることはなかった。
プリゴジンはウクライナ戦争の前線に赴き、インターネットを通じてロシア軍の上層部を痛烈に批判した。そして自分こそ真の愛国者だというイメージを打ち出した。
5月には、ウクライナで死亡したワグネルの戦闘員とされる数十人の遺体が地面に並ぶ様子を撮影した動画を投稿した。大勢の兵士が遺体となって帰国することに怒りと屈辱感を募らせるロシア民族主義の愛国者にアピールするには絶好の演出だった。
プリゴジンは戦死者を「祖国のために命をささげた」とたたえ、彼らを殉教者に仕立て上げた。自分がその殉教者の1人になるとは、まだ思ってもいなかったのだろう。
一方でワグネルは、ウクライナでの愚行と蛮行のせいで国際的な評判を落とした。シリアではISを掃討し、油田やガス田を制圧する活躍で名を上げたが、ウクライナで戦っているのは受刑者や乱暴者の寄せ集め集団にすぎず、まさに砲弾の餌食となっている。
こうなると、もはや高級武装ブランドではない。今のワグネルは、ほぼ「暴力を自己目的とする無法集団」に成り下がっている。
ロシアの軍隊が昔から「質より量」を重んじてきたのは事実だが、ならず者に粗末な武器を持たせ、まともな訓練もせずに戦場に送り込むという手法で、ワグネルのブランド価値は大いに損なわれた(ただしアフリカや中東の一部の国では今も重宝されている)。
そして6月に反乱を起こしたことで、「無法者」というワグネルとプリゴジンの悪評はさらに上塗りされた。短命に終わった「モスクワ進軍」はロシア政府内の亀裂を露呈させ、結果としてプリゴジンの身の破滅につながった。