「ロシア敗北」という現実が近づく今こそ、アメリカが思い出すべき過去の苦い失敗
America’s Conundrum
まずはアメリカの軍事力。東西冷戦のような二大陣営対立の構図にあって、アメリカの軍事力は抑止力として有効だった。ただし強引に他国の政権転覆を図るような行為は避けたい。当該国に強力かつ有能で正統性のあるパートナーがいれば政権交代も可能だったが、国民の支持を欠き、無能な相手と組んだ場合は失敗に終わっている。
また1991年の湾岸戦争や現下のウクライナ戦争のように、いわれなき不法な侵攻に対抗する上では、アメリカの軍事力は効果を発揮できる。だが相手に銃口を突き付けて民主主義を押し付けるようなやり方は実を結ばなかった。当座の勝利はつかめても、長期的には必ずと言っていいほど失敗に終わっている(1953年のイラン、2001年のアフガニスタン、03年のイラク、11年のリビアを見よ)。
粘り強い外交に徹することが成果を生む
アメリカの外交政策について言えば、最もよく機能したのは国情の違いを認め、アメリカの政治的価値観を押し付けることなく、各国のペースと流儀に合わせて民主化を促した場合だ。
逆に、アメリカ流の自由民主主義を政治的・経済的繁栄の万能薬と信じ、人間なら誰もが自由を最優先すると想定し、どんな異質な国にもアメリカ流のやり方が通じると思い込んだときは失敗した。
対外経済政策は、社会・経済の安定のために一定の配慮をしつつ開放性の拡大を促した事例で成功してきた。国際政治学者の故ジョン・ラギーが述べたとおり、第2次大戦後の「埋め込まれた自由主義」がいい例だ。自由貿易と経済成長を促進しつつも、庶民をグローバル化の最も深刻な影響から守れる体制だ。
だが1930年代のようにアメリカが露骨な保護主義に回帰したり、逆に際限なきグローバル化を進め、市場原理を最優先したときには失敗した。後者の時期には経済的な格差が途方もなく拡大し、深刻な金融危機に至り、あるいは肥大化したサプライチェーンの脆弱性が露呈した。
外交はどうか。これは粘り強い交渉に徹したときに良い結果を出している。第2次大戦後のマーシャル・プラン、欧州とアジアにおける同盟構築、中東和平交渉、多国間の通商合意、核軍縮協定の維持などがその例だ。各国の利害は異なることを認め、どの国にも一定の利益があるような合意を目指してこそ、交渉努力は実を結ぶ。
逆に、忍耐強い交渉を捨てて相手国に二者択一を迫るようだと、交渉は失敗に終わる。最後通告を突き付け、制裁をちらつかせ、互恵的な妥協を否む姿勢は禁物だ。