日本人ジャーナリストと同日に拘束された現地人カメラマン、その日のうちに死亡 尋問中に暴行死か
関係者はRFAの取材に対し匿名を条件に、アイ・チョー氏の遺体に「胸部に検視の際のような縫合した後があった。これ以外には特に外傷もなく血や体液などの漏洩もなかった」ことを明らかにした。
またカメラマン仲間のひとりは匿名で「アイ・チョー氏の拘束中から兵士は自宅をくまなく捜索したが武器等不審なものは一切発見されなかった」と述べ、武器所持という容疑そのものが事実に基づかない「身柄拘束のための虚偽容疑」だった可能性も十分あるとみられている。
怯える市民、カメラマンたち
アイ・チョー氏は「アッパー・ミャンマー(ミャンマー上部=中部)写真協会」に所属しながら、ザガイン市内で「ハイマン写真スタジオ」を経営するなど、報道関係者の間で人気と人望がありつつ、地元では親しみやすい人柄で有名だったという。
2021年2月1日にミン・アウン・フライン国軍司令官をトップとする軍によるクーデターが発生後は、地元ザガイン地方を中心に取材活動を精力的に行い、主に反軍政を掲げる民主派市民のデモなどの活動をカメラに収め、SNSなどで発信していた。
その写真は民主派政治家や地元メディアなどに多く共有、拡散されたという。
反軍政デモに参加したザガイン市民などをアイ・チョー氏と一緒に取材したカメラマン仲間や地元報道関係者たちは、アイ・チョー氏が拘束されその日のうちに死亡したことを受けて、同様のことが自らの身に起こるかもしれない、との恐怖に怯えているという。
RFAによるとアイ・チョー氏と一緒に取材したことがあるという報道関係者は「兵士が突然自宅などにやって来て気に入らないものを発見したら恣意的な逮捕、殺害となる。法律なんてものはなく法律は兵士の銃口にある。兵士は何でも自分たちが望むことを実行するので、兵士が近くに来るだけで死刑が執行された気持ちになる」とザガイン市民の胸中を代弁したという。
RFAは軍政のゾー・ミン・トゥン国軍報道官とザガイン地方域の社会問題担当大臣のアイ・フライン報道官にアイ・チョー氏の死亡に関してコメントを求めたが8月1日現在返事はないとしている。
ミャンマーでは7月30日午後6時ごろ中心都市ヤンゴンの南ダゴン郡区で民主派のよる「フラシュモブ」といわれる少数、短時間のゲリラデモを取材中の日本人映像ジャーナリスト久保田徹氏が警察に拘束される事案も起きている。現地日本大使館などは「早期釈放」を求めているが、これまでのところ警察は久保田氏が拘束中であることは認めているが釈放は8月2日現在実現していない。
久保田氏、そしてミャンマー現地のカメラマンや報道関係者に軍政がどのような対応をするのか、世界が注視していくことが求められている。
[執筆者]
大塚智彦(フリージャーナリスト)
1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など