ロシア元国営通信ジャーナリストが語る、驚愕のメディア内部事情
REPORTING FROM EXILE
バッグ2つでラトビアへ脱出
私はプロパガンダ機関と化したこれらのニュースネットワークの編集者数人と侵攻直前に話をした。
今、彼らは意気消沈している。本当にショックだと語り、打ちのめされている。自分の仕事に集中できる──事実をそのまま報道できると思っていたのは妄想だったのかと自問自答している気分だという。
それでも、今となっては他の選択肢はない。ロシアにはもう独立系メディアは残っていないのだから。
2月23日、何か一大事が迫っていることは分かっていた。そこで、通常の始業時間は午前8時だが、その日は誰か1人が常にニュースフィードをモニターし、何か始まれば皆を起こすことになった。
私たちの読みは当たった。翌日午前6時、「始まった」というメッセージが届き、私は跳び起きた。説明は必要なかった。目を開けてラップトップを開くと、何が起きているかは一目瞭然だった。
以来、ほぼ休みなく働き詰めの毎日が続いている。
3月3日には早くも、近いうちに戒厳令が敷かれると噂されていた。そうなれば言論の自由はおしまいだ。大統領の権限で市民の自由のほとんどを停止し、国境も閉鎖することが可能になるからだ。
その場合、私は出国できないだろう。モスクワ発のフライトの行き先はまだロシアからのフライトを受け入れているほんの一握りに限られていた。しかも、そうした行き先へのチケット代は数千ドルに跳ね上がっていて、とても手が出なかった。
私は大急ぎで荷造りに取り掛かった。バッグ2つに手当たり次第に詰め込めるだけ詰め込んで、予約しておいたタクシーで妻と愛犬と共に国境に向かった。
9時間後に一番近くの検問所に到着。幸い、何の問題もなく、歩いて国境を越えた。それから約16時間でたどり着いたのが、ここ、ラトビアだ。
3月3日には編集部全員に一斉メールが届き、全員出国するべきだということになった。翌4日、ロシアの上下両院はロシアでは異例とも言える合同会議で、ある法案を可決(その日のうちにプーチンが署名し発効)。
うまい言い方が見つからないが、ジャーナリストの仕事が罪に問われかねない法律だ。ロシア軍に関する「偽情報」を流布したジャーナリストは罰せられる。
この日ラトビアに着いた私たちは、ヌードル・リムーバーへのアクセスが当局によって遮断されているのを知った。
「(私が独立系メディアで)ウクライナでのロシア軍の特殊作戦について偽情報を流布した」といった口実だろうが、明らかに私たちが戦争を戦争と呼んだせいだった。