北朝鮮に核を売った男、「核開発の父」カーン博士が果たした役割
HOW KHAN GAVE DPRK THE BOMB
「われわれは核拡散の問題に関与していると思われる個人や組織に接触する足掛かりを築き、カーンの秘密のネットワークがパキスタンからヨーロッパ、中東、アジアにまで広がっていることを突き止めた。断片的な情報をつなぎ合わせて組織の全容を解明し、傘下の組織や科学者、フロント企業、工作員、財務状況や製造工場を割り出した。われわれのスパイが数年がかりで実行した複数の作戦を通じて、組織との接触にこぎ着けた」
98年には、北朝鮮と欧米諸国の工作員が暗躍する世界の一端をうかがわせる不吉な出来事が起きた。パキスタンが初の地下核実験を行ってから10日後の6月7日、イスラマバード近郊のカーン邸近くで、キム・サネという北朝鮮人女性が射殺されたのだ。この女性は、在イスラマバード北朝鮮大使館の中堅外交官カン・テユンの妻だったと公表された。
遺体と共に北へ運ばれた物
だがそれから1年以上後、パキスタンの複数の当局者が、ロサンゼルス・タイムズ紙に驚きのリークを行った。当時カーンは核実験を見学させるため北朝鮮から20人の代表団を招いており、キム・サネはそのメンバーだったと明かしたのだ。
彼女の夫とされたカン・テユン(公式発表では北朝鮮大使館の経済顧問)が、実際には北朝鮮の蒼光信用会社の従業員だったことも明らかになった。北朝鮮のミサイル輸出に携わっていると米当局がみていた企業だ。カン・テユンがパキスタンにいた理由は、北朝鮮の弾道ミサイルとパキスタンのウラン濃縮技術との「物々交換」に関連していたためとみられる。
パキスタン当局はキム・サネの死について、公式にはほとんどコメントしなかった。だがパキスタンの諜報当局者らはロサンゼルス・タイムズに対し、キム・サネはアメリカのスパイだと疑われていたと語っている。彼女が欧米の複数の外交官と接触していることに、パキスタン軍統合情報局(ISI)が注目。北朝鮮大使館に疑念を伝えた直後、彼女は殺されたという。
パキスタン当局者がロサンゼルス・タイムズに語ったところでは、キム・サネの遺体は死亡から3日後に、アメリカ製のC130輸送機で平壌に移送された。輸送機には遺体と共に、P1型とP2型の遠心分離機や、遠心分離機および弾頭の設計図などが積まれていた。さらには、遠心分離機にかければ兵器の材料として使える六フッ化ウランガスも含まれていた。
テネットは前述の回顧録に、02年6月までには、カーンのネットワークが北朝鮮に対して「古いモデルから、新型の高性能モデルに至るパキスタン製遠心分離機の設計図」を提供していたことが明らかになったと書いている。