北朝鮮に核を売った男、「核開発の父」カーン博士が果たした役割
HOW KHAN GAVE DPRK THE BOMB
カーンの顔写真を掲げてパキスタン初の核実験10周年を祝う人々(2008年) FAISAL MAHMOODーREUTERS
<コロナで死去したパキスタンのカーン博士は国内では英雄だったが、北朝鮮の核武装を闇のネットワークから支援していた>
パキスタンの「核開発の父」と呼ばれたアブドル・カディル・カーン博士が10月10日、首都イスラマバードの病院で新型コロナウイルス感染症のため死去した。85歳だった。
カーンはパキスタンをイスラム教国圏初の核保有国に導き、国民的英雄と称賛された。しかし国際的には、北朝鮮やイラン、リビアといった「ならず者国家」に核技術を提供した危険人物と見なされていた。
南カリフォルニア大学・米中研究所シニアフェローのマイク・チノイは、カーンの活動を子細に追い続けてきた。彼の2008年の著書『メルトダウン──北朝鮮・核危機の内幕』(邦訳・本の泉社)から、カーンと北朝鮮の関係に迫った核心部分を抜粋で紹介する。
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2000年代から北朝鮮が「顧客」に
アブドル・カディル・カーンは、自分の名を冠したカーン研究所を主宰して核開発事業を指揮し、1980年代後半から90年代前半にかけてパキスタンの高濃縮ウラン開発を主導した。パキスタンは98年に核実験に成功。だが隣国インドが核能力を拡大するなかで、核爆弾搭載ミサイルを早急に確保する必要性に迫られ、他国に頼る近道を模索していた。
カーンはパキスタンの「核開発の父」として国民的英雄となったが、一方で新たな道を歩み始めた。それは、核の技術やノウハウ、機材をひそかに他国へ売りさばくことだった。
80年代後半に彼は、まずイランにウラン濃縮用の遠心分離機や設計図、関連機材を売り渡すようになる。その後、イラクやシリアに接近し、2000年代に入る頃にはリビアや北朝鮮も彼の顧客となった。
大方の見方では、93年12月にパキスタンのベナジル・ブット首相が訪朝したのは、北朝鮮とパキスタンが急速に協力関係を深める上で重要な一歩になったとされる。このときブットは、北朝鮮の中距離弾道ミサイル「ノドン」の設計に関する詳細を持ち帰ったと報じられた。しかしブットは、北朝鮮のミサイル技術に資金を提供しただけという主張を繰り返した。
ブットの訪朝後、両国は防衛協力関係を強めた。96年か97年には、北朝鮮の国営企業である蒼光信用会社が、ミサイルの重要な部品、あるいはミサイル自体をパキスタンに納入し始めている。パキスタンは射程距離約1450キロの中距離ミサイルを「ガウリ」と改名し、98年には核実験に成功した。ガウリはノドンに若干の改良を加えたものとみられる。
だが90年代半ばになり、外貨準備高が急減したパキスタンは財政危機に見舞われる。この頃、カーンが北朝鮮側に核技術を提供していた物的証拠が初めて明らかになった。