「ヒュブリス」だった東京五輪が日本に残す教訓
THE TOKYO "HUBRIS" OLYMPICS
国民の間には開催反対の声も強かった ISSEI KATO-REUTERS
<「安全・安心」とは何だったのか。IOCは「上から目線」だったが、政府はそれを事実上支持した。五輪関係者向けに厳しいルールを定めたが、非現実的で、ほとんどチェックされなかった。今大会はいわば「ヒュブリス五輪」だった>
いったい何回、聞かされたのか。「安全・安心な大会」と。
2020年3月に東京五輪・パラリンピックの延期が決まってから大会組織委員会の全ての記者会見で、1時間に少なくとも10回は耳にした。スローガンのようになっていた。
「安全・安心」とは何か? と私は何度も責任者に尋ねたが、確かな答えを得られなかった。
日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長は「定義がないと思う」。組織委員会の森喜朗前会長は「基準がないよね」。
橋本聖子会長は「都民国民の皆さまにとって安全で安心できる大会を私たちがどのように開催しようとしているのか、皆さまに実感していただくには一層の情報発信の努力が必要だと認識している」と繰り返したが、一度もきちんと説明はしなかった。
五輪期間中に取材していて、強く感じたことがある。それは世論の強い反対にもかかわらず五輪が開催され、しかも新型コロナウイルス対策に抜け穴が多かったのは、IOC(国際オリンピック委員会)や世界に対して、日本が「NO」と言えなかった結果ではないかということ。
加えて権力者に、国民の意見より国のイメージを優先する傲慢さと、「日本ならできる」という妙なプライドや自信過剰があったのではないか。
「安全・安心な大会」と言えば多くの国民は、大会による新型コロナウイルス陽性者が出ないこと、いわゆる「バブル」の中にウイルスが入らないこと、日本での感染拡大が起きないことと理解していただろう。
では、現場での感染対策は十分だったのか。いくつかの場所を取材したが、事前に想像したより対策は中途半端だったと言わざるを得ない。
筆者は五輪開幕の1週間前からほぼ毎日、羽田空港の国際便到着ロビーの様子を見に行った。そこで働くボランティアなどを取材したが、予想以上に問題が多かった。
例えば、五輪取材のために到着したばかりの外国マスコミと一般人がロビーで全く分けられていない。一部の報道陣はすぐにATMを利用したり、喫煙室に行ってマスクを外して、たばこを吸いながら大きな声で話したり、コーヒーを買ったりしていた。
ボランティアに、なぜ彼らを指導しないのかと聞いたら、ほぼ全員が「自分の仕事ではない」と答えた。組織委員会の責任者は時々来たらしいが、私が20時間以上到着ロビーで過ごしても一度も見掛けなかった。
管理はほぼボランティア任せ。マスクを外したコーチが大声で知り合いを呼んだときも、誰も「マスク着用」を求めない。選手の情報を確認していた男性に「なぜ何も言わないの?」と聞いたら、「私は関係ない。旅行会社の者です。私の仕事は選手の名前と滞在ホテルの確認だけ」と言う。