「ヒュブリス」だった東京五輪が日本に残す教訓
THE TOKYO "HUBRIS" OLYMPICS
それは主催者が日本全体の感染拡大を防ぐことよりも、選手を守ることを優先したからだろう。五輪参加者の1日の検査数は、東京都全体の検査数より多く、そのほかの感染対策も、外国から来た関係者向けのほうが国内関係者向けより厳しかった。
東京都医師会の尾﨑治夫会長は記者会見で、「オリンピックでかなりの感染者が出ている」と指摘した上で「バブルが十分にできたわけでもない」と述べたが、バブルに穴をつくったのは、むしろ私も含めた国内関係者だった。
毎日、MPCなどで外国の関係者と接触した後、自分の家族など一般人と接触したからだ。ワクチン接種が間に合わなかったボランティアも同じ。国内関係者の感染者については、濃厚接触者の有無や入院、重症化、死亡の情報は公表されず、透明性が乏しかった。
東京の感染状況が日々悪化したことについて、IOCのトーマス・バッハ会長やスポークスマンの会見での回答はいつも同じだった。「外での感染状況は残念だが、われわれと関係ない。われわれはほぼパラレルワールドで過ごしている。世界で最も検査を受け、最もワクチン接種率が高いコミュニティーだ」。
IOCの「上から目線」は変わらず、日本政府はその姿勢を事実上支持した。菅首相もバッハ会長も、定義がなく、基準もなく、意味不明の「安全・安心な大会」という表現を使い続け、閉幕後も「安全・安心な大会が実現した」と胸を張った。
感染拡大を世界は無視した
世界での報道はどうだったのか。来日したのはほぼ全員スポーツ記者である上、五輪の施設と競技以外の取材はできなかった。報道の自由を守りつつ十分な感染対策をするには入国後14日間の完全隔離が必要だが、それは非現実的だったからだ。
ほとんどのマスコミは財務状況が厳しい。数人の記者に仕事をさせずホテルで14日間隔離しておくのは、時間とお金の無駄だ。だからIOCなどの圧力を受けた日本政府は隔離を免除し、代わりに行動制限を行った。
結果的に五輪以外の日本の良いところは報道されず、大会をめぐる一連の不祥事や、感染状況と競技結果だけが外国に発信された。歴史に残るのは、スポーツの記録と「パンデミック(感染症の世界的大流行)の中で五輪を開催したこと」だ。
残念ながら、五輪の閉幕直後にかつてない感染状況に陥った日本のことは外国ではほとんど誰も気にしていない。開会式に出席したフランスのエマニュエル・マクロン大統領も、「東京五輪はパンデミックに打ち勝つことができると証明するイベントになってほしい」という立場だった。
日本の感染状況についての知識も意識もなさそうだったが、理由はIOCのスポークスマンが言ったように「他国のほうが大変な状況だった」から。