アメリカ政治・社会の価値観の理解に欠かせない、レーガンのレガシー
REAGAN’S MORNING IN AMERICA
レーガンはゴルバチョフと顔を合わせ個人的な関係を築いた上で、歴史的な軍縮交渉に乗り出した。レーガンの任期中には冷戦は終わらなかったし、冷戦を平和的に終わらせるには次期大統領ジョージ・H・W・ブッシュの卓越した外交手腕が必要だった。
それでもレーガンの功績は大とされている。実際、アメとムチを巧みに使い分けるレーガン流交渉術は対ソ協議の円滑化に役立った。
レーガンは就任時とは様変わりした世界を残してホワイトハウスを後にした。望ましい変化もあったが、全てがそうではない。レーガンの「大きな政府」批判は主流の見解となり、民主党の大統領ビル・クリントンでさえ「大きな政府の時代は終わった」と宣言せざるを得なかった。
レーガノミクスの規制緩和は経済を劇的に変えた。庶民も空の旅を楽しめるようになったし、生産とサプライチェーンのグローバル化が進み、今も続くデジタル革命が幕を開けた。
しかしポスト・レーガン時代の経済は少数の富裕層に大きな恩恵をもたらす一方、「その他大勢」を置き去りにした。結果的に19世紀後半の経済膨張期以降、未曽有とも言うべき所得格差が生まれた。
また、生産拠点の国外移転で脱工業化が一段と進み、コロナ禍のような想定外の事態にはひとたまりもない脆弱なサプライチェーンが構築された。デジタル革命はその影響力の大きさと影響の及ぶ範囲で途方もなく巨大化した寡占企業を生み出した。
レーガンの遺産を歪めたトランプ
レーガンは節度をわきまえた温厚な人物で、慎重に言葉を選んだが、その後の歴代の大統領は必ずしもそうではなかった。就任演説でレーガンは「この現在の危機においては」という条件付きで「政府こそが問題だ」と述べたが、攻撃的な共和党候補たちはその前提条件を捨て去った。そして既成政治を容赦なくたたき、民主党政権の政策の擁護者を「アメリカ人の敵」扱いした。
いい例が過激な発言で大統領になったドナルド・トランプだ。任期終了間際には、大統領があおった怒りが物理的な暴力にまで発展した。
トランプの共和党はレーガンの共和党とは全くの別物だ。それでも受け継がれてきたレガシーはある。レーガン自身は人種差別主義者ではなかったが、「州の権限」の回復を主張することで南部諸州の人種差別主義的な政策を正当化し、共和党内に差別的な一派を残す結果となった。トランプがそうした一派を大いに厚遇したことは言うまでもない。