前世代の先輩たちがいつの間にか姿を消していった──氷河期世代と世代論
「崖」を目の前にして
21世紀初頭の20年は、「団塊の世代」やさらにその上の世代が、時に「老人支配」「老害」といった非難を受けながらも、分厚く社会の中枢に居続けた。その陰で、私のような1973年生まれを人口のピークとする「団塊ジュニア」の世代は、「若手」という扱いを受け続けてきた。
「団塊ジュニア」は、物心ついてからの大半の時間を「失われた30年」の中で過ごし、膨れ上がった同世代人口の中での熾烈な競争に晒されながら、バブル崩壊後の就職難により、就業と昇進の機会が限定された「氷河期世代」の「第一期生」でもある。
私自身、職業人生の大半は、「その場で一番若い人」として振る舞うことが期待される環境であり、30代後半から40代になってもなお「新進気鋭」と呼ばれることが通常であった。ところが近年になって、上の世代が否応のない生物学的制約から、次々に退出していくことで、団塊ジュニア世代が、突如として、社会の舵取りを担う指導層の役割を準備なく負わされようとしている。
数年前に、若い頃から注目されリーダーシップを取り、政治・行政的な要職も歴任された先生とふとしたことで茶飲み話をする機会に恵まれたのだが、その先生は私の顔を見るなり「池内君、気をつけなよ。何十年もずっと『若いね、若いね』と言われ続けていると、突然、上に誰もいなくなって、最年長になるんだ。気づくと崖があってね、先頭に立っているんだよ」と仰った。
私が「その場で一番若い人」の役割を長く務めて、ややくたびれつつある様子を、感じ取って、忠告をいただいたのだろう。
否応のない時間の流れによって突然に眼前に「崖」を見出すようになった後に、何をすればいいのか。私にとっては、中東という、日本にとって見慣れない世界をめぐって展開する国際政治の現在とその先を見通す「ヴィジョナリー」から、「中東をめぐって国際政治が回っていた過去の時代」を最初から見届けてきた「ヒストリアン」に転じるために、細々と準備をしているところである。
これは、私が今現在抱えている個人的な「問題」に過ぎないのだが、そこに多少の世代的な背景や使命も認められるのではないかと思う。
池内 恵(Satoshi Ikeuchi)
1973年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。国際日本文化研究センター准教授、アレクサンドリア大学(エジプト)客員教授などを経て、現職。専門はアラブ研究。著書に、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、サントリー学芸賞)、『[中東大混迷を解く]サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』『[中東大混迷を解く]シーア派とスンニ派』(ともに新潮社)、『新しい地政学』(共著、東洋経済新報社)など多数。
『アステイオン94』
特集「再び『今、何が問題か』」
公益財団法人サントリー文化財団
アステイオン編集委員会 編
CCCメディアハウス
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