「有罪判決を受ける理由は...おまえが黒人だから」冤罪で死刑囚となった黒人の物語
想像するだけでどうにかなってしまいそうな話だが、注目すべきはヒントン氏がそんな中でも決して希望を失わなかったことだ。当初こそ気持ちを閉ざしていたものの、持ち前の明るさとユーモアのセンスを武器に、できる限り前向きに生きようと試みるのだ。
例えば刑務所長には、あるときこんな提案をし、了承されている。
「読書クラブを立ちあげたいと考えているんです。一カ月に一度、図書室に集まらせてもらえませんか。ただし、読書会をひらくわけですから、聖書以外に読める本が必要です。私たちのように、聖書を大切に思っている人間ばかりじゃありませんから。おわかりですよね?」(262ページより)
この案は了承され、以後、読書会が開催されることになった。その結果、普通の本が一冊もなかった死刑囚監房には、「新たな世界の扉が開いたような雰囲気」が広がっていったという。
これは一例だが、このように自分を含む囚人たちが少しでも前向きに生きていけるような策を彼は考え続け、実行したのだった。『奇妙な死刑囚』という邦題も、死刑囚にしては"奇妙な"こういう彼の振る舞いに焦点を当てたからこそ付いたものだと推測される。
ちなみに原題は『The Sun Does Shine』で、これは刑務所から出た彼が、殺到する群衆に向けた言葉だ。
泣き声と抱擁がひとしきり続き、喧騒が鎮まるまで一〇分ほどかかっただろうか。みんな静かになり、私が口をひらくのを待っている。周囲の顔をひとつずつ眺めていった。とうとう、自由になったのだ。あれをしろ、これをするなと命令する者はいない。自由なのだ。
自由!
私は目を閉じ、空を仰いだ。母さんに祈りを捧げた。神に感謝した。それから目をあけ、たくさんのカメラのほうを見た。とてつもなく長いあいだ、私は闇のなかにいた。昼も夜も、闇の日々が続いた。でも、それももう終わりだ。これまでは太陽が輝くのを拒む場所で暮らしてきた。もうたくさんだ。二度と戻るものか。
「陽は輝く」。そう言うと、私はレスターとブライアンのほうを見た。それぞれのやり方で、私を救ってくれた二人の男。
「陽は輝くのです」。そう繰り返したとたんに、涙があふれ出した。(426〜427ページより)
明るく前向きな性格だけを武器に、身を結ぶかどうかの保証もない努力を彼は続けてきた。だからこそ、やがて人権派の弁護士と出会うことができ、自由の身になれたのかもしれない。そういう意味では、自分がなぜ死ななければならないのか理解できないまま処刑されていった仲間たちに比べれば、まだ"幸せな部類"だったと考えることもできる。