イタリアが「欧州の武漢」に なぜ感染は急速に広がったのか
感染拡大の理由
イタリア国民は、自国がなぜ「欧州の武漢」になってしまったのか、理由を知りたがっている。イタリアで最初の症例が発見されたのは1月末である。死に至る場合もある感染症の震源地となった武漢からの中国人観光客2人がイタリア旅行中に発症したのだ。
この夫妻は直ちに隔離され、接触のあった人は全員ウイルス検査を受けた。イタリア政府はさらなる感染を防止するため、他の欧州諸国に先駆けて、中国との直行便を発着ともすべて禁止した。上述の2人の中国人が他の誰かにウイルスを感染させたとは考えられていない。
ジュゼッペ・コンテ首相は1月31日、記者団に対し、「イタリアが実施した感染予防体制は、欧州で最も厳しいものだ」と自信ありげに語った。
だがその自信は裏切られた。
2月21日、ロンバルディア州は、ミラノ南東60キロにあるコドニョ出身の38歳のイタリア人男性が新型ウイルス陽性と診断されたと発表した(「マッティア」という名だけが発表されている)。それから1週間以内に888人の感染が確認され、そのうち21人が死亡した。
複数の新型ウイルス肺炎患者の治療に当たっているミラノのサッコ病院で感染症担当部門を率いるマッシモ・ガッリ氏は、「我が国は、最も思い切った迅速な予防措置を採った国だと考えられていた」と話す。だが同氏は、「国内感染者1号」とされるコドニョ出身の「マッティア」氏が発症するよりだいぶ前から始まっていたのではないか、と言う。
「患者ゼロ号」
地元当局によれば、この感染症は100人に2人の割合で肺炎など生命に関わる合併症にかかるが、無症状のまま終る人もいるため、自覚のないまま多数の人に感染させる可能性のある「ステルス・キラー」を生んでしまう。
現地当局者によれば、「マッティア」氏が2月18日にコドニョの病院を訪れた時点では、中国への渡航歴がなかったため、その症状については何の警戒もしなかった、という。
だが、その結果は深刻だった。
地元の保健当局によれば、来院した日を救急処置室で他の患者に囲まれて過ごした後、自宅に戻ることを決めた。だが症状は悪化し、翌日、何の感染予防措置も施さないまま病院に戻った。
ウイルス感染を診断されたのは2月20日夜。そのときまでに5人の医療従事者と、少なくとも1人の同室患者、そして妊娠中の妻と友人1人が感染した。彼らもまた、隔離される前にウイルスを拡散させた。