絶望の縮図シエラレオネに希望を探し求めて
Hopelessness and Hope
シエラレオネは鉱物資源に恵まれているが、不幸にもその鉱物リストにはダイヤモンドが含まれていた。ダイヤは盗んで運ぶには格好の財宝だ。高品質のダイヤの原石をブリーフケースに詰めて運べば1億ドルの稼ぎも夢ではないが、同価値の原油を運ぶにはタンカー1隻が必要だ。
シエラレオネではダイヤの利権を貪る政府への反発を背景に、1991年に内戦が勃発。反政府派がダイヤの鉱山を掌握し、資金源にしたため戦闘は長期化した。11年に及ぶ内戦では略奪、殺戮、レイプなどあらゆる残虐行為がまかり通った。2002年にようやく平和が訪れると、今度はエボラの猛威がこの国を襲った。
内戦に続くエボラ禍が収まって数年。今でもこの国は後遺症に苦しんでいる。経済は外国の援助でどうにか支えられている状況で、ほかのアフリカ諸国と同様、近年では中国が多額の援助を行っている。
これは多くのアフリカ諸国に共通する病理だ。アフリカ諸国の68%が1人当たりGDPで世界の下位4分の1に入っている。
サハラ砂漠以南の国は、赤道ギニアが辛うじて上位25%にいる。人間開発指数は下から48カ国のうち32カ国がアフリカで、サハラ砂漠以南の最高はボツワナの101位だ。
私が見たシエラレオネは、半世紀近く前からほとんど何も良くなっていない。人々は家や命、手足だけでなく、記憶さえ奪われた。
私は平和部隊時代の旧友ボックリー・サルーと彼の娘ジェニバの消息を求めて、奥地のニアンディアマという村を訪ねた。最後に彼の無事を確認したのは1995年。共通の友人からの手紙によると、反政府勢力に攻撃されて「それ以来、娘の姿を見てない」と語っていたという。
私は村長に、平和部隊の別の友人が撮った写真を差し出した。彼は無言で受け取り、1枚ずつゆっくり見てから、隣の男性に渡した。男性の手が震えだした。大きな声が上がり、すぐに人だかりができた。
人々は写真の中に親類を見つけると、指をさして笑った。写真の端を持って大切に扱い、時には涙を拭って、隣の人に回した。
マジョエという村では、帰り際に村長が言った。「来てくれてありがとう。贈り物をありがとう。何よりも写真をありがとう。あなたは私たちの記憶を返してくれた」
1787年に解放奴隷の入植地として現在のフリータウンが建設されて以来、シエラレオネは援助を受け続けてきた。その経済は、今なお援助主導だ。至る所に援助機関のスタッフや活動家がいて、学校や道路を建設し、井戸を掘り、太陽光発電の設備を造っている。