愛と死のおとぎ話『ア・ゴースト・ストーリー』
A Philosophical Fairy Tale
ここで幽霊の衣装について触れておこう。シーツに2つののぞき穴を開けたスタイルは子供が描くお化けの絵のよう。ハロウィーンの仮装なら「手抜きだね」と言われるだろう。
だが主役の幽霊をコミカルなシーツ姿にしたロウリー監督の選択は、物語が進むにつれ豊かな意味を帯び始める。CGでアフレックを透明人間風にしても、ゾンビ風にしてもダメ。おなじみのお化けスタイルだからこそ、観客はこの幽霊の物語を全ての幽霊、つまり今は生きている自分の物語として受け止める。
Cの霊はこの世でおなじみの試練に直面する。悲哀、嫉妬、受容、孤独。そして、あまりにも長い間何かを望んでいると、何を望んでいたか分からなくなること――。
こうした感情の全てを、アフレックは体を傾けたり、首を傾げたりするだけで表現する。幽霊のCはたまたま出会った幽霊仲間と音のない会話(その内容は字幕で分かる)を交わすだけで、一言もしゃべらない。それでも彼の揺れ動く思いは手に取るように観客に伝わる。
撮影監督のアンドルー・パレルモのゆったりとしたカメラワークが荘厳な雰囲気を醸し出す。どのアングルから切り取った映像も1点の絵画のよう。長回しの多用と相まって一つ一つの場面が忘れ難い印象を残す。
幽霊ものの前提を崩す
編集も手掛けたロウリーは、さまざまな時間の流れを巧みにつなぎ合わせた。幽霊にとっては何年、さらには何百年もの時間がほんの数分に感じられるようだ。CとMが暮らした家には新しい住人がやって来る。中南米系のシングルマザーと子供たち、虚無的な会話をする意識高い系のパーティー人間たち。
終盤の30分ほどで、この映画は幽霊ものの定型を吹き飛ばす。ダニエル・ハートの抒情的なサントラが切なく胸を揺さぶるだけで、せりふはほとんどないのに、幽霊ものの前提とも言うべき区別、つまり生者と死者、過去と現在、日常的な空間と超自然的な世界の区別などないことを観客に実感させるのだ。