新鮮味に欠ける『エイリアン』最新作
だが今回はダニエルズ(キャサリン・ウォーターストン)が主人公リプリーの役割を引き継ぎ、テネシー(ダニー・マクブライド)が21世紀後半なのにジョン・デンバーの曲を知っている以外は、みんな似たり寄ったりで印象に残らない。
唯一の例外はデビッド(ファスベンダーの2役)。前作から10年、彼は金色の巻き毛を伸ばし、フード付きのケープをまといながら暗闇を抜け出す最良の方法を模索してきた。ウォルター同様、彼もアンドロイドだがあまりに人間的だ。この2人が本作の中心人物であり、テクニックを超えたレベルで楽しめる数少ない魅力の1つだ。
前作は3Dは上出来だが、中身は空っぽだった。本作はより観客の期待に応えている。クライマックスは第1作と第2作のラストを継ぎはぎした印象だが、デビッドがウォルターに笛を教える場面など2人のファスベンダーのツーショットは見ものだ。
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デビッドの存在を除けば、前作とのつながりは彼がこの惑星にたどり着いた経緯を説明する短いフラッシュバックくらい。シリーズの他の作品との共通項もデザイン面が大半だ。
シリーズ全体から見ても『コヴェナント』は大して重要ではない。クライマックスとダニエルズが宇宙船内でエイリアンを追い掛けるシーンは第2作に、惑星の不気味な洞窟を捜索する場面は第3作に、とっぴな部分は第4作に似ている。
シリーズの生みの親はこの俺だ――それがスコットの一番伝えたいことなのかもしれない。
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© 2017, Slate
[2017年9月19日号掲載]