日雇労働者の街・あいりん地区に見る貧困問題の希望
Newsweek Japan
<大阪の西成で調査や支援活動に携わってきた社会学者による『貧困と地域』で知る、スラムとドヤの違い、知られざる釜ヶ崎(あいりん地区)の姿>
『貧困と地域――あいりん地区から見る高齢化と孤立死』(白波瀬達也著、中公新書)の著者は、長年にわたり大阪の西成で調査や支援活動に携わってきたという社会学者。自身が就職氷河期を通過してきた「ロスト・ジェネレーション」であるため、貧困問題には当事者感覚があったのだという。
そこで"漠然とした問題意識"を背景としてホームレス問題を研究対象に定め、あいりん地区でフィールドワークを実施するようになった。そうした経験を軸としたうえで、同地の貧困問題を検証したのが本書だ。
本書は、あいりん地区を通じて、「貧困の地域集中」とそれによって生じた問題を論じるものだ。あいりん地区の歴史的背景を踏まえ、この地域が被ってきた不利を明らかにし、それに対してどのようなセーフティネットが生み出されてきたのかを見ていく。こうした排除と包摂のダイナミズムを的確に捉えるために、利害を異にする複数の集団を捉え、それらの対立ないし協働のプロセスについても考えたい。(iiページ「まえがき」より)
陳腐な表現かもしれないが、読んでみて痛感したのは、「釜ヶ崎(かまがさき)」と呼ばれることも多いあいりん地区について自分が知らなすぎたということだ。もちろん、かつて路上生活者があふれていたとか、近年は生活者の高齢化が問題になっているらしいとか、さまざまな情報に触れてはいる。とはいえ、それはやはり表層的なものでしかなかった。
【参考記事】日本の未来を予見させる、韓国高齢者の深刻な貧困問題
たとえば、高度成長期以前のこの地が、男女の人口比がさほど変わらないスラムだったという事実にもそれがいえる。ちなみにこの点に注目するとすれば、まずはスラムとドヤ(宿をひっくり返した俗称。正式名称は簡易宿泊所)との違いに触れておく必要があるかもしれない。本書に引用された、社会学者の大橋薫による両者の比較を見てみよう。
簡潔にまとめるならば次のようになる。スラム住民は家族持ちが比較的多く、定住性が高い。そのため人間関係は比較的緊密である。また、収入と消費の水準はともに低い点が特徴である。対してドヤ住民は、単身者が多く、定住性が低い。そのため人間関係は希薄で匿名的である。スラム住民に比べると所得は高いが、日雇労働ゆえに安定的な収入は見込みにくい。また、重労働に従事し、肉体を酷使するため、エネルギー補給のために食費がかさみやすく、簡易宿泊所の支払いも必要なため消費水準は相対的に高い。その結果、スラム住民に比べてドヤ住民は生活に余裕がない。(大橋一九六六)(24~25ページより)
つまり当時のスラムでは、子どもをも含めたさまざまな男女が暮らしていたというわけだ。そんな構造が変化するのは、1970年の大阪万博に向けた労働者需要の高まりである。多くの労働者が必要となったため単身男性が多く集まり、ドヤ街に住んだというのだ。
そして彼らの多くは、1980年代以降もこの地で生きることになる。そんななか、バブル景気の影響で収入が増加し、住環境も整備されていった。ところがバブルが崩壊してから、状況は一変する。