書くことが精神を浄化させる PTSDと闘う記者の告白
8月28日、私は自分の治療チームにこのようなメモを書いた。「ウィキリークスがあのビデオを公開したとき、私には勇気がなかった。あぜんとし、ショックを受けたが、他の誰かにそれに対応してほしいと思った。他の誰かの問題だが、自分の問題とすべきだった。この気持ちとうまくやっていかなくてはならない。
退院まであと1週間となった9月初め、担当医から17号棟で達成したことを書き出すよう言われた。自分が作成していたリストには、メアリーと正直に向き合うこと、ナミールとサイードの死に関連する自分の行動を受け入れられるようになること、不安とストレスをコントロールするテクニックを身につけること、とあった。
退院にあたっての目標は、帰宅してから当初の期間について現実的な期待をもつこと、ストレスのレベルを管理すること、仕事には徐々に戻ること、アルコールは飲まないことだった。また毎週、心理療法のセッションを受けることになった。
いよいよ9月16日に退院した。家に戻れた気分は何とも素晴らしかった。家族との絆を再び取り戻すと心に決めていた。タスマニアはメルボルンと比べると、とても静かだった。
1歩後退
17号棟を出る前、私の治療チームは、回復のペースについて2歩進んで1歩下がると教えてくれた。
9月23日は、まさに「1歩下がった」日となった。
私は近くの町ローンセストンで、メアリーが迎えにくるのを待っていた。そのとき、公立図書館近くで警報が鳴り響いた。「緊急事態。避難下さい」と、その録音された音声は告げていた。冗談だろ、と私は思った。ヘッドホンは持っていなかった。放送は10分も続いた。落ち着け。深呼吸しろ。
午前半ばごろに帰宅すると、私はベッドに舞い戻った。そしてマイケル・ハー氏の「ディスパッチズ─ヴェトナム特電」を読み終わった。登場する記者たちの行動は、私にイラク時代を思い起こさせた。私は彼らに比べると弱虫だった。
遠足に出かけた娘を2時ごろに迎えに行くため、ベッドから這い出た。帰宅すると、飼っている犬が下痢をして、どっさりとフンが床にあるのを発見した。ひどい悪臭を放っていた。私は自分のバランスが崩れ始めるのを感じた。
これもまた、ベッドに戻る良い口実となった。
すると今度は庭師が芝刈りにやって来た。6カ月ぶりなので、芝は伸び放題だった。庭師は芝刈り機ではなく、大きな草刈り機を取り出した。その音は、バグダッド上空を飛んでいた偵察ヘリを思い出させた。私は頭痛がし始めた。
17号棟から退院して1週間が経過していた。蜜月期は終わったのか。私は自分に問いかけた。再び孤立し始めていると感じた。メアリーに今日は「1歩下がる」日だったが、それよりも悪い感じがすると伝えた。彼女が案じているのが伝わってきた。
翌日もひどい気分が続いていたが、めい想するため仏教寺院を訪れた。45分ほど座禅を組んで起き上がると、エネルギーが戻っているのを感じて驚いた。
そして私はこの記事を書き始めた。書くことには精神を浄化させる作用がある。17号棟での最初の日々では、セラピーを受けている間、貧乏ゆすりが止まらなかった。不安の表れであったのだろう。だが書いていると、それは止まったのだ。
(翻訳:伊藤典子 編集:下郡美紀)
[エバンデール(豪州) 15日 ロイター]