子どもへの愛情を口にしながら、わが子を殺す親たち
このようなことになっても、後日帰宅した幸裕は理玖くんの死を知りながら警察に通報することもなく、遺体を放置したまま逃走。さらには理玖くんの死を隠して児童手当などを不正受給したというのだ。しかし、そうした事実以上に問題視されるべきは、著者が拘置所で面会した際の幸裕の言動だ。
「俺は理玖を殺してなんかいないっすよ。それに、あいつの責任はどうなんすか!」
これまでの公判から判断するに、あいつとは幸裕の妻、愛美佳(あみか、仮名)にちがいなかった。(中略)幸裕はいら立ち、アトピー性皮膚炎の腕や首をかきむしってつづけた。
「俺、二年以上一人で理玖を育てたんですよ。メシもあげた、オムツも交換した、体もふいてた、遊ばせてだっていた。やることやってたんす。なのに、なんで殺人とか言われて捕まんなきゃなんねえんすか。おかしいっすよね!」(16ページより)
つまり彼は、自分が「やることやってた」と信じて疑わないのである。そして、自分が不当な扱いを受けていると本気で思っている。常人にはとうてい理解できない感覚だが、それが彼にとっての「普通」なのだ。そして同じことは、他の2事件の犯人にもいえる。
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「下田市嬰児連続殺害事件」の犯人である高野愛(いつみ)の、裁判員裁判での様子についてこのような記述がある。
彼女は、若くしてすでに十一歳の長女を含め三人の子供を育てている母親だったが、その受け答えはあまりにたどたどしかった。
たとえば、事件についてどう考えているかと訊かれた時の返答が次だ。
「こんな事件起きちゃって、子供たちにごめんって思ってるから、そう言ってみたいです」
また、なぜ赤ん坊を殺害したのかと問われてこう答えている。
「なんとかなるって思っちゃってたんですけど、そうならなかったから、困って......でも、私が悪いって思います」
彼女は県立高校の普通科に通う学力はあったし、ジョナサン(筆者注:愛の勤務先)でも愛嬌をふりまきながら十年間ちゃんと勤めている。知的レベルが著しく低いわけでもないのに、実際に彼女の口から出てくるのは、小学校低学年の子の下手な言い訳のような返答ばかりだった。(98ページより)
そして 「足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件」の犯人である皆川忍と妻の朋美にも、似たような側面がある。
裁判官や検察官は、たびたび二人に対して玲空斗君への虐待の実態や死体を遺棄した場所などについて尋ねた。忍は玲花ちゃんへの虐待については一部認めたものの、玲空斗君に対しては「してません」の一点張。質問にはほとんど一言でしか答えず、都合の悪いところは黙るかごまかすかした。(中略)
――玲花ちゃんをリードでつなぐというのはやり過ぎだと考えなかった?
「考えました。けど、まぁわかってくれるのかなという気持ち」(中略)
朋美に関しては、責任逃れの言葉だけが目立った。裁判は途中から分離されることになるのだが、朋美はそれを機に、虐待は忍が勝手に行ったと主張したのである。自分は妊婦だったし、精神的な病気に苦しんでいたため、何もできることはなかった、と。(186~187ページより)