いとうせいこう、ギリシャの「国境なき医師団」を訪ねる.1
ただし、おかげで俺はあの鳩と燕のハーフみたいなやつが、ギリシャの小型の鳩だということを知った。道路のあちらこちらに色んな柄のそれが歩き回り、飛び回っているのだ。
ノアの箱船へとオリーブをくわえて帰ってきた鳩、平和のシンボルとなるあの鳥は、ギリシャのそこら中におり、水をのみ、木の実をつついて暮らしているのだった。
俺はもうろうとしかけた目で、そうした鳩の白い羽根、灰色の羽根、斑点などを見ながら歩き続け暑さに耐えた。例の同じ画面を眺めていれば暇に耐えられる心理傾向が、俺を安定させたのである。
それはともかく、ようやく目当ての小さな通りを見つけ、なおもがたがたと荷物を引いて行って慎ましい古いビルにたどり着いた。そこがMSFギリシャのオフィスだった。短い階段を上って透明なドアを開けると中から冷気が来た。思わず深く吸い込んだ。
受付の女性が言った。
「暑かったでしょう!」
「はい。これが最高気温でしょう?」
「いいえ、まだまだ」
ギリシャの夏はなかなか厳しいらしい。
そこへ、待っていてくれたディミトリス・ロウビスさんが降りてきた。細い格子のシャツ、細いオレンジのパンツでスタイリッシュな男性だ。
挨拶もそこそこ、ディミトリスさんによる情報では、数週間ほどの間、ギリシャ各地での難民キャンプでは10の疾患を対象としたワクチン接種キャンペーンが行われているとのことで、あれこれと出払っている人が多いらしかった。ある者は市内で、ある者はサモス島で、またある者はレスボス島で子供たちに予防接種をしているのだ。俺たちの渡航前からMSFジャパンとの取材調整をしてくれていたアスパシア・カカリという女性が不在なのも、サモス島に入っているからだということだった。
確か三階まであがると、周囲に小さなオフィスがあり、中で女性たちが一人ずつ働いていた。中央のこれまた小さなソファに座って待っていると、ディミトリスさんがプラコップになみなみと冷たい水を入れて持ってきてくれた。おまけにギリシャ特有のフレッド・カプチーノはどうですか?と言ってくれて、俺たちはすぐに甘えた。
おそらく狭い道路を挟んで向こう側のカフェから、誰かが急いでテイクアウトを持ってきてくれた。透明のカップに氷とエスプレッソとたっぷりのクリームが入っていて、ドーム状の透明なキャップをかぶせられ、その真ん中にストローが刺さっていた。吸うとこれが苦味と甘味の利いた、実においしいおもてなしなのであった。俺は飲んだ。ごくごく飲んだ。
夜叉のように飲んでいると、目の前に黒ずくめの美しい人が現れた。
それがMSFギリシャの事務局長マリエッタ・プロヴォポロウさんだった。ありふれた言い方だが、まさにギリシャ彫刻みたいな均整で、黒い髪、黒い瞳、白い歯をした堂々たる女性である。一方、俺はアイスカプチーノにかじりついたネズミのような東洋人であった。
「ようこそ、ギリシャへ。ごめんなさい、少し作業があるので少しお待ち下さい」
マリエッタさんはスウェット地の黒い上下の服をまとって、ひとつの部屋に消えた。彼女の用事が済むまで、やせネズミはカップの底をからから言わせながら飲み物の残りを漁った。
そして、時間が来ると、マリエッタさんは自らの部屋に俺たちを招き入れ、現在ギリシャがどんな状態にあるのか、難民たちはこのヨーロッパの地でどのような扱いを受けているかを一気に語り出した。
燃えるような弁舌とはこういうものだ、という激しさで彼女は時おり髪を振りながら、今ここにある困難を訴えた。それは当然ギリシャだけが抱える難儀ではなく、ヨーロッパと中東、そしてアジアまでを含んだ危機であった。
つまり世界の危機じゃないか。
そのどん詰まりの実情を、次回も俺はこのドーハを飛び立ったばかりの帰りの機内からお届けする。
まだシートベルト着用のサインさえ消えていない。
(つづく)
いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。