最新記事

難民支援

いとうせいこう、ギリシャの「国境なき医師団」を訪ねる.1

2016年8月29日(月)17時05分
いとうせいこう

出発7月14日

 始まりは7月14日の木曜日だった。

 俺は昼間からあれこれ仕事をし、くたくたで夜の羽田空港へ行った。フライトは深夜。ドーハ経由でアテネに行くことになっていた。

 きちんとしたギリシャの位置を世界地図上で見たのは、そのドーハから乗った機内でだった。最終目的地であるギリシャは右にエーゲ海、その他は地中海に囲まれているのだけれど、同じ地中海は右側のトルコ沿岸をも浸し、そのトルコの南にすぐシリアがあるのだった。

 俺は飛行機の中でビデオを見る習慣がない。それでだいたいあのカーソルみないた飛行機が地図の上を移動していく画像をじっと見る。自分でもかなり自閉的な傾向があるのではないかと思うが、機体速度や目的地の時間を繰り返し見ているのが好きなのだ。ちなみに、台風の沖縄で数時間、天気チャンネルで台風の動きを見ていたこともある。あの時はなぜか池澤夏樹さんも一緒だった。

 それはともかく、ギリシャが東方的な文明を持つことの皮膚感覚的な意味を、俺はいい年をしてようやく、それも座席前部に付いたモニターに映る世界地図での、アテネとアレッポのあまりの近さによって知ったのである。

 付け加えて言えば、決して素直にドーハからアテネに着いたわけでもなかった。トランジットのほんの一時間の間に、俺たちはようやくつながったネットによって、その日がフランス革命記念日であったこと、その式典の中にトラックが突っ込んだことを知った。空港のテレビモニターにはアルジャジーラ放送が静かに映っていて、惨劇の情報がもたらされていた。それを無言で見るのはアフリカ、中東、ヨーロッパ、アジア各国の人間たちだった。みな複雑で絶望的な視線を事件に向けていた。

 そんな状況で俺たちはアテネに向かった。アラビア半島を西北へ斜めに突っ切り、アレクサンドリアの上を通り、パラドックスの比喩で有名なクレタ島を過ぎれば、垂れた葡萄のような形の先端がアテネだった。

 つまり民主制発祥の地だ。

MSFギリシャへ

 空港に着いてEU市民でない者の列に並び、国内に入るとすぐに地下鉄を探した。ほとんど地方空港と鉄道という感じの近さにそれはあった。目指すのは谷口さんが持っているコピー用紙によれば「メガロ・ムシキス駅」らしかった。地下鉄とは言え、しばらく車体は外を走った。

 車窓の向こうにはオリーブらしき樹木と、糸杉らしい木、さらに知らない葉が茂っていて、いかにも地中海性気候というやつだった。日差しが明るく、空が青く、その空を鳩とツバメの中間みたいな鳥が何羽も飛んでいた。

ito0829_2.jpg

駅名を知りたくても読むことが出来ない。

 これはのちのちも続くことだが、ある駅からアコーディオン弾きが乗ってきて、いかにも中東的な要素の濃い哀切なメロディを鳴らして回った。アコーディオンの横にはガムテープでプラコップが貼ってあったが、小銭を入れる人は誰もいなかった。

 もしそれが観光だったら、俺はあの時その流しに小銭を与えたかもしれない。いかにも異国らしい情緒にひたるために。

 だが、俺はギリシャの経済的疲弊を知っていた。むしろアコーディオン弾きの暮らしがせっぱ詰まっているのだと思うと、反対に俺の手は動かなくなった。まったくおかしな話だ。あの時、俺は積極的に小銭を出すべきだったのではないか。

 なんとか「メガロ・ムシキス駅」についたのはいいが、そこから歩いていくべきMSFギリシャへの道を迷いまくった。途中すぐに俺は用意していたキャップをかぶったのだが、すでに脳天は暑かった。熱中症になるおそれがあるほどの陽気の中、俺たちは荷物を引きずりながら同じがたがたの道を左に行き、右に行き、四十分を費やした。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

英小売売上高、10月は前月比-0.7% 予算案発表

ビジネス

アングル:日本株は次の「起爆剤」8兆円の行方に関心

ビジネス

三菱UFJ銀、貸金庫担当の元行員が十数億円の顧客資

ワールド

中国、日本などをビザ免除対象に追加 11月30日か
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:超解説 トランプ2.0
特集:超解説 トランプ2.0
2024年11月26日号(11/19発売)

電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 2
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対する中国人と日本人の反応が違う
  • 3
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 4
    Netflix「打ち切り病」の闇...効率が命、ファンの熱…
  • 5
    北朝鮮は、ロシアに派遣した兵士の「生還を望んでい…
  • 6
    NewJeans生みの親ミン・ヒジン、インスタフォローをす…
  • 7
    元幼稚園教諭の女性兵士がロシアの巡航ミサイル「Kh-…
  • 8
    【ヨルダン王室】生後3カ月のイマン王女、早くもサッ…
  • 9
    プーチンはもう2週間行方不明!? クレムリン公式「動…
  • 10
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査を受けたら...衝撃的な結果に「謎が解けた」
  • 3
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り捨てる」しかない理由
  • 4
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 5
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 6
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 7
    アインシュタイン理論にズレ? 宇宙膨張が示す新たな…
  • 8
    クルスク州の戦場はロシア兵の「肉挽き機」に...ロシ…
  • 9
    沖縄ではマーガリンを「バター」と呼び、味噌汁はも…
  • 10
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    外来種の巨大ビルマニシキヘビが、シカを捕食...大きな身体を「丸呑み」する衝撃シーンの撮影に成功
  • 4
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 5
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 6
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 7
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 8
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
  • 9
    モスクワで高層ビルより高い「糞水(ふんすい)」噴…
  • 10
    ロシア陣地で大胆攻撃、集中砲火にも屈せず...M2ブラ…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中