今では「ガイジン」じゃなく「YOU」と言われる
変化があったように思えても、よくみれば実はそれほどではないことがある。ぼくが初めて日本に来てから、この国に地ビールの伝統が根づいたのはうれしい。けれど今でも東京の居酒屋に出かけたら、一種類のビールしか置いていない確率は九〇%にのぼる(その一種類がアサヒスーパードライである可能性は高い)。
ぼくはサッカーを愛していて、Jリーグ発足以降の日本サッカーの進歩はすばらしいと思う。それでもサッカーの観客数は、野球に比べるとまだはるかに少ない(同じ二チームが何日にもわたって何度も戦うのに、どうしたらスタジアムを満員にできるのだろう?)。
ぼくは日本にまったく変化がないと言いたいわけではない。ただ、人々が思うより変化の幅が小さいのだ。東日本大震災のあと、日本の政治は「すべてが変わる」と、みんな口々に言っていた。でもこの文章を書いている時点での首相は、ぼくが日本を離れたときと同じ安倍晋三だ。
大きな災難に出合うと、人々はものごとが以前と同じままのはずはないと考え、そこからかすかな慰めを得ようとする。災厄には、そこから生まれる変化によって意味が与えられるのだ。しかし残念ながら、つねに変化が起こるとは限らない。
東京で特派員をしていたころ、ぼくは大きな変化が欲しかった。大きな変化はニュースになる。しかし実際には変化が起きていないから、ぼくは「もしかすると」起こるかもしれないことを予測したり、これから起ころうとしていることを書けと、ときおり言われた。たとえば覚えているのは、日本が核保有に向けて「前進」しているという記事を書けと言われたことだ(ぼくはそんなものは書けないと抵抗したが、ほとんど無駄だった)。二〇〇七年に日本を離れる直前に書いた記事の一本は、日本が憲法九条改正に向けてどう動いているかというものだった。
これらは大きな変化だったろう──もし本当に起きていれば。
ぼくの「いつか書きたい記事」のリストに入っていたのが、いま日本橋の上を覆っている高速道路を地下化するという計画についてだ。この計画をぼくが最初に耳にしたのは、一九九八年だと思う。「実現したら記事にできる」と、ぼくは思った。ぼくはまだ、その時を待っている。
大きな変化に思えたものでも、振り返ればそれほどではなかったということがある。いま思えば、自分が特派員だったときに、なぜ小泉純一郎が「断行」した郵政民営化を「大ニュース」だと思ったのかわからない。人々の暮らしへの影響を考えれば、「クールビズ」のほうが重要だった。
ぼくが大学を出てからは、イギリスのほうが日本よりもはるかに大きな変化を経験したようだ。いくつか例をあげれば、まずイギリスは大変な数の移民を抱える国になった。外国生まれでイギリスに住んでいる人は八〇〇万人に達しようとしている。この数字は、バーミンガム、リバプール、リーズ、シェフィールド、ブリストル、マンチェスター、レスター、コベントリーの人口を合わせた数の二倍を超える。
この一〇年ほどで、ロンドンの不動産価格は三倍近く値上がりし、若いイギリス人には小さなアパートさえ手が届かないものになった。
同性愛者は法的に結婚し、養子をとることもできるようになった。
貴族院(上院)には、世襲貴族が入れないようになった。
イギリスの「連合」の度合いは以前より緩くなった。ウェールズとスコットランドは一九九七年に、かなりの権限を委譲された。二〇一四年にはスコットランドが、国民投票によってイギリスから独立する寸前までいった。結局は残留したが、スコットランドは新たに大きな権限を手にし、それによって国内の他の地域もより大きな権限を求めるようになるだろう。イングランド人も自分たちだけの問題に対して、より大きな発言権を求めるはずだ。