文革に翻弄された私の少年時代
文革当時、中国は隣国ソ連と深刻な対立に陥り、われわれ庶民はいつ戦争になってもおかしくないという危機感をもっていた。各家庭にもソ連の侵攻に備えて「乾糧(保存食)」が配布されたが、反革命分子のわが家の分は当然なかった。外に出るのがいやで、太陽を避けるように暮らしていたものだ。
何より、父と母が同時にいなくなり、残された子供たちだけで暮らしていかなければならなかった。
当時、一番上の兄は20歳になっていて、すでに就職して遠く離れた会社に通っていた。姉は農村に下放され、家に残ったのは4つ上の兄と、当時小学校4年生(10歳)の私、そして1歳下の妹。一番上の兄が夕方、郊外にある会社から必死に自転車をこいで帰ってくるが、昼間は幼い3人だけで過ごさなければならない。
間もなく母は釈放されたが、"犯罪人"の一家に支払われる給料はない。家にお金はほとんどなく、コメがないときはイモを食べた。今も鮮明に覚えているのは、せっかく炊き上げたご飯を、すべて土間にぶちまけてしまったこと。土で真っ黒になったご飯を泣きながら洗って食べたのは、文字どおり苦い思い出だ。
とにかく、家にお金がないことがつらかった。新しい服など買ってもらえず、いつも兄や姉のお下がりばかりを着ていた。
そんなつらい暮らしのなかで、私が歌ったり踊ったりする様子は、父が連行されて泣いてばかりだった母にとって、これ以上ない癒しになっていたようだ。喜ぶ母の様子を見たことも、私がのちに歌舞団でダンサーをめざす動機になった。
幸いなことに、父は1年半後に「平反(名誉回復)」されて、家に帰ってきた。すると、近所の人たちはそれこそ手のひらを返したように喜び、爆竹を鳴らして父の帰還を迎えた。不払いになっていた給料も1年半分がドンとまとめて手渡され、親戚の中にはそのカネをせびりに来る人たちもいた。
私に言わせれば、中国の文革も、日本の現在の政局も、本質的には派閥争い、あるいは足の引っ張り合いにすぎない。もちろん、政治的な主義や主張の違いは、表面的にはある。だが、その根底にあるのは、政治家同士の好き嫌いや嫉妬心だ。立場が変われば、今まで冷淡だった人がもみ手しながら近づいてきたり、反対に、都合が悪くなると急に冷たくなったりするのは、中国も日本も同じだ。
政治家を志す人間がこんな話をして、夢も希望もないと思うかもしれない。日本でも中国でも、政治家は往々にして建前しか語らない(本音を語るのは、もっぱらメディアとのオフレコ懇談だ)。そして有権者は、政治家を「政策に詳しく有能で弁が立って清廉潔白な聖人君子」と思いたがる。当たり前だが、彼らもただの人間だ。「聖人君子」も一皮剝けば、煩悩や嫉妬のかたまりというわけだ。
もちろん、政治には夢も希望もある。ただ、それを実現するためには綺麗事だけではダメだ。政治の本質である人間同士のドロドロした部分を理解して、時にそういった感情とうまく付き合いながら、夢や理想の実現をめざす。
文化大革命を肌で体験したことで、私は子供ながらに政治の本質を理解することができた。それは、日本の政治でもおそらく変わらない。