「死にたい」と言った私を救った、母の「意外な言葉」──サヘル・ローズさん
でも、言葉の刃で刺されて本当にしんどかった。物理的な暴力のほうが傷やあざが残るので、相手もやったことに気づけますが、暴力的な言葉や無視などは精神的苦痛でしかなく、目に見える痕跡が残りません。そのうち実際に暴力を振るわれ、持ち物に落書きされるなどエスカレートしていきました。
── 中学3年のときですね。
はい。もう感情が抑えられなくなりました。それまでは、学校から家まで泣いて泣いて走って帰ってデトックスをしていました。それで、お母さんが仕事から帰ってきたときに「優等生のブレーカー」をあげていました。そして「学校はどうだった?」と聞かれれば、「すっごく楽しかったよ。○○ちゃんと遊んでね......」と架空のストーリーを仕立て上げて生きていました。それをし過ぎて結局サヘルという人間を見失い、自分自身を拒絶するようになりました。
一方で、お母さんは毎日必死で働き、朝から晩までトイレ掃除の仕事をして疲れ切って帰ってきていました。そんな状態では相談しづらいし、日本語もおぼつかないお母さんに宿題のことを聞けない。成績は下がる一方でした。
どうしても親に気を遣ってしまっていました。お互いに「着ぐるみ」を着てよく見せようと強がった生活をしている親子でした。
愛溢れる「いいよ」
── その苦しい状況をどうやって乗り越えたのでしょうか。
そうした取り繕った自分に限界がきて、あるときお母さんに「死にたい」と打ち明けました。お母さんは意外にも「いいよ」と言って、私の感情を全部受け止めてくれたのです。「いいよ、でも私も連れて行って」と。
そう言われて私たちはハグをしました。その時、抱きしめたお母さんの体が皮と骨で、あばら骨が触って分かるぐらいだったんですね。孤児院から引き取ってくれたときのお母さんの手は、本当にきれいでふくよかだった。それなのに、必死で働いて、女性一人で何もかも分からないこの国で生きるうちに、骨と皮と血管でぼろぼろの手になっていました。
── 相当ご苦労されてきたのですね。
ええ。その瞬間、すごくいろいろと頭に浮かびました。
私は死ぬことがイジメっ子たちへの復讐と思っていましたが、本当にこれでいいのか、と。ここまでしてくれた目の前の養母に、何も恩返しができていない。それどころか彼女の人生まで道連れにしようとしている、そう率直に感じました。