分からなくても「毎朝15分」難しい本を読むことで起きたこと...人生を変える読書術
「分からない」ことで開かれる可能性
たとえば、〈数ページに一カ所くらいは、「何について書いているのかだけは、いちおう分かる」〉という文章に出会い、嬉しさを実感しながら線を引く。
たとえば、歯ごたえがありすぎる文豪の文章も、〈豪速球にバットを振って、当たらない。しかし、バットを振ること=物理的に読むこと、それだけはできた〉という体験を味わう。それによって、我慢して本を読むことを覚える。
たとえば、結論が分からないならば、なにが分からないかを自分の言葉にする。疑問を言語化できれば、自分の読書はそれなりの深度を得たと理解する。
それぞれのより深いロジックや、分からない読書を楽しむ具体的なテクニックについては本書に詳述されているので、ぜひ確かめてみてほしい。
しかし、そうは言っても、結論・答えに達しないならば、本を読む意味などあるのだろうか? 何のために本など読むのか? 疑問を言語化できれば、それでいいのだろうか?
問えるわたしは、世界を、変えるのである。
特設サイト:近藤康太郎『百冊で耕す』『三行で撃つ』(※試し読みや関連記事を公開中)
『百冊で耕す 〈自由に、なる〉ための読書術』
近藤康太郎[著]
CCCメディアハウス[刊]
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