ますます許容されていく「監視」への違和感
何よりその後に発表された県警の談話が酷い。「他人が管理する敷地内に無断で入ったことは不適切な行為であり、関係者の皆様におわび申し上げます」。この談話には、人をみだりに監視してしまったことへの言及が一切ない。大分の選挙区では、野党候補と与党候補がせめぎ合っており、実際にその結果を確認しても、民進党の現職候補がわずか1090票差で競り勝っている。たとえ些末な案件であっても、相手にとってネガティブな事案として撒ける何かを"盗撮"できれば、ひっくり返せたかもしれない票差だった。カメラ設置の理由について、県警は「個別の容疑事案で特定の対象者の動向を把握するため」(朝日新聞・8月4日)としたが、ちっとも説明になっていない。
大分県警ではこの4月から「大分県街頭防犯カメラ設置促進事業」として、「新たに街頭防犯カメラを設置する自治会等に対し、防犯カメラ設置費用の一部を補助する事業」を行なっている。上限は1団体につき50万円で、対象経費の2分の1を補助するという。事業を行うにあたって作成した「防犯カメラの設置及び運用に関するガイドライン ~プライバシーの保護に配慮した防犯カメラの運用~」を読むと、「防犯カメラの設置が、犯罪の防止に有用であることは多くの方々が認識しています。しかし、その一方で、知らないうちに自分の姿が撮影され、目的外に利用されること等に不安を感じる県民の方もいます」という、今件を踏まえれば突っ込みどころしかない文章が見つかる。「誰にでもわかるように、撮影対象区域内、または付近の見やすい場所に防犯カメラを設置していること、及び設置者の名称を表示するものとします」との記載もあるが、お作りになった皆々様一同で熟読し直すことをおススメしたい。
解せないのは、これだけの逸脱した行動について、事の詳細を説明せずに、「個別の容疑事案で特定の対象者の動向」を追っていたとするだけで済まされたこと。その後、カメラを設置した署員らが書類送検されたものの、トカゲの尻尾切りに思えて仕方ない。人権侵害そのものの行動が、ともすれば、お得意の「怪しいんだからしょうがない」方面の世相と親和性を高めてしまう。「人権という美名の下に犯罪が横行している」とした山東氏の発言に代表されるように、権力を持つ側が「監視」の条件や強弱を自由気ままにコントロールしようとしていることに、無頓着すぎはしないだろうか。
今年5月には、刑事司法改革関連法が成立し、通信傍受の拡大が盛り込まれた。捜査機関が電話やメールを傍受できる対象はこれまで4種類(薬物、銃器、組織的殺人、集団密航)のみだったが、新たに9種類ものカテゴリが追加された。その9種類が「窃盗、詐欺、殺人、傷害、放火、誘拐、監禁、爆発物、児童ポルノ」である。これらの犯罪に繋がる可能性があると判断すれば通信傍受が可能となる。こうして監視する権限の拡大が甚だしい現在なのに、相模原事件や県警盗撮事件後の反応を見ていると、ますます「○○の場合においては、監視されても仕方ない」という風土がジワジワ広がってきているように思えてならない。こういったなし崩しを許容したくない。
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